そらのあお 

 晴れた日だった。なんとなくこの世界は最初からずっと晴れているのだと思うようなことがあったけれども、来々の記憶が正しければ昨日の天気は雨だったし、来週には台風が来るのだった。夏とか秋なのだろうか、季節だって曖昧で、雪が降ったのが昨日のようにも感じる。
「…×××」
名前は、もう呼べなかった。
 この口から出て行くのはどうしたって空気で、そこだけ抜き取られたような音で、世界にそんな音は存在していないみたいに。でも彼女は存在するのだ、絶対に存在するのだ。来々の幻などではなく。
「愛しています」
例えそれが届かないものでも。
 ほこり塗れの愛をこの手に歩いていけるのなら、それで良かった。

***

恋ということにしておいてよ 

 キスをしてくれと言われたからキスをしただけ、それだけと言われれば確かにそれだけだった。だと言うのにねだった畠野は不満そうな顔をする。不満そうな顔をするのなら最初から何も言わなければ良かったのではないかと思うし、それかもうちょっと注文をつければ良かったのではないかと思う。自分の判断ミスもしくは怠惰を棚に上げて文句を言わないで欲しい。
 東がそんなことを思っているのが分かったのか、そうじゃないんですよ、と小さな声がした。抗議の声だ。
「いつまでそういうことをするんです?」
畠野は小さな声で笑って見せた。否、嗤って見せたのだろう。
「貴方は自分の気持ちを纏めているつもりになっているだけだ」
「…お前に俺の何が分かる」
「なんにも」
 その笑みもまた、美しい。この男には美しくないところなど存在しないのかと思うほどだ。腹立たしくすら思う。
「でもね、白冬」
名前で呼んだのはこれからの行動を示すためだ。それくらいは分かる。分かるから逃げたいと少しだけ思った。思ったけれども。
「押し込めたって感情は分からなくならない」
「…何を」
「いつか来ますよ」
軽いキス。受け入れる。
「貴方は貴方の情けなさを口に出して確認する日が来ます」
 諦めたように笑った東はもう逃げなかった。
「それを防ぐためにこうしてんだろ」

***

コンティニューしますか? 

 馬鹿馬鹿しいと言えばそうなのかもしれなかった。子羊だけがその場で泣いていた、正しくは泣くことが出来ていた。だってそういうふうに出来ているから。誰かの夢見た子供、そういうものを体現しているのが高野子羊。正しくなれなかった成れの果て、未来永劫使われることのないバックアップデータ。
 だと言うのに子羊よりももっと泣きそうな顔で骸は子羊を見つめている。ああ本当に馬鹿馬鹿しい。こんな世界は許されない。だと言うのに子羊の中にはバグのような感情が芽生え始めるのだ。この人に泣いてほしくない、泣いて欲しい、泣いてほしくない。
 あり得なかった未来、ただの分岐点、それだけの存在で子羊が辛うじて思えるのは骸が欲しい、それだけのはずだったのに、どうして。
「ねえ、むくろ」
子羊は笑う。
「わたしたち、おおばかね」



大泣きのわたしの頭は醒めていて 泣かないあなたの赤目も見える / 林あまり

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正ルートでないためエンディング回収が出来ません 

 起きた時、自分がどうして服を着付けていないのか一瞬思い出せなかった。けれども鮮明にありありと、まるで本当にあったことのように昨日の記憶が蘇ってきて―――否、本当にあったこと、なのだろうけれども。骸の記憶にあるものはいつだってごちゃごちゃだ。誰が整理を付けてくれる訳でもない、ゴミ箱。それが骸なのかもしれなくて、そんな骸が恋をした子羊なんていう幻想はきっと、バグか何かなのかもしれなかった。骸はすべてを知ることは出来ない、ただ自分が間違っているということだけしか、分からない。
 用賀骸というのはそういう存在だった。何を選んでも間違いにしかならない、そういうものだった。ぐるぐるとフラッシュバック、僕は僕を殺してあの子の傍に這いずっていく。それが僕の役目、僕の役割。暗闇の中、小さな二対の瞳が僕を見上げて、僕は見上げられて、視線が絡まって、視線を絡めて。
 ふと、思う。
―――この子にそれほどの価値があるのか?
これは分岐点だった。どうしたの、骸、と同じ声がする。幼い声がする。僕はこれに何と応えれば良いのか知っている、それでも僕は。
 喉がからからと乾いていた。

***

独占したいお年頃 

 本当は此処は子羊だけの楽園のはずだった。というよりも、子羊と水宮かがみだけがいれば本当のところ成り立つのに、どうしてか人間というものは余計なものをどんどん付け足して行きたくなるもののようで。
「ああほんとうにわからないわ」
だからこれも同じようなバグなのだ。最初からなかったもの、だって子羊は人間じゃないから。
 こんな地獄のことが居心地がいいなんて、そんなことは思えないはずなのだから。



理想幻論 @asama_sousaku

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悪女 

 かがみくんは、ひどいおんなってどんなひとだとおもう?
 練習のために口にしてみてから、どうしてかがみくんを選んだのだろう、と天草涸月は不思議に思った。水宮かがみは確かに此処へ来る回数が多いからその紐付きによって練習の相手として浮かんで来たのだと思うことは簡単だったけれど、多分そうではないのだと涸月はすぐに分かった。みんなが涸月のことを馬鹿だと言うけれども確かに涸月は馬鹿だけれど、そして馬鹿を演じるけれど、正しく馬鹿である訳ではないのだ。知らないことを知らないふりを出来る馬鹿。それが涸月の役割には必要だったから。
「かがみくん…」
今日は彼は来ないはずだ。学校の合宿で数日留守にするはず。いつそれを聞いたのかは忘れてしまったけれど、彼の親が訪ねてきたような気もしたけれど。
 本当は知っている。どうしてかがみの名前を出したのだ。
「かがみくんはかわいそう」
答える声はない。否定する青臭い声はしない。精液のような声はしない。
「だって、こげちゃんなんかにやさしくしなくちゃいけないんだもの」



@ODAIbot_K

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要らない恋なんかない 

 正しいことがしたかった。多分これは利木月来々の願いではないのだろう、と思う。思うけれども彼女の願いであればきっと利木月来々の願いと言っても過言ではない、と頷く。彼女は俺で、俺は彼女。それだけだった、それだけで良かった。前進も進展も、もっと言えば後退だって要らなかったのに。どうして物事は転がり続けるのだろう、変化を好むのだろう。ずっと、ずっと、此処で。何も言えないままで、何も言わないままで。
―――これ以上、何を求めると言うんだ?
 凍り、ついて。
 伸ばした手は降ろされた。
 この箱庭を任されたことこそ、彼女と最大に近付けた証だった。

***

ライト、ライト、月の光よあの子を照らして 

 彼女のことを美しいと思う。とんでもない聖女像を押し付けられて死ぬしかないのに死ぬことすら出来ない彼女のことを、かがみは美しいと思う。こんな考えはきっと狂っている、どうしようも出来ない、人間としても終わっている。理想にすらなれない。なのに手を伸ばしてしまうし彼女はそれに応える。それが決まりだから、それが彼女の役割だから。
 変わらない。
 永劫、変わらないこの世界のルール。
「かがみくん、かわいそうね」
彼女が優しく頭を撫でる。下手くそ。生まれてこの方撫でたことも撫でられたこともないような手付き。
「かがみくんだけが、せいじょうみたいで、こげちゃんはとっても、かわいそうだとおもうのよ」
 それを馬鹿、と一蹴する勇気すらなかった。



気のふれたひとの笑顔がこの世界最後の島であるということ / 笹井宏之

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だから恋なんてものは 

 どうしてそんなに優しいんですか、と彼は言った。東は突然何を言われたのか分からなくてぽかん、と口を開ける。優しい。何を持ってして畠野はそんなことを言い出したのだろう。いつものように煙草に火をつける畠野は本当に美しい。その指に挟まるのがいつもの安っぽい銘柄でないことに気付いて、ああ、毒されている、と思う。
「自分の気持ちに嘘を吐く技なんてとっくの昔に習得―――いえ、これは設定≠ナすね。そう、僕はそういうふうに設定≠ウれたと思っていたのに」
「…うん?」
「分からないふりを続けても良いですけど、話はちゃんと聞いてくださいね」
「いや、あの、」
「まあ聞かせるんですけど」
「何の話だか―――」
「ねえ、」
 ふう、と煙を吐きかけられる。
「僕たちはそんなに人間に近いですか?」
甘い、匂い。煙草特有の苦味が後から追って来ておかしな感覚だ。
「白冬」
吐きそう、に。
「貴方が欲しくてたまりません」
「…勝手に取ってってるだろ自爆装置が」
「いえ、そうではなくて」
 何を言われているのか分からない。畠野が近付いてくる。いつもと同じはずなのに、好き勝手するのが畠野のやり方なのに、いつもよりずっと優しい。可笑しい、優しいと言ったのは畠野の方なのに、どうして。
「貴方が好きです」
 何が。
「遠慮をして誰かに譲ってしまうなんて、僕のプライドが許さないんです」
それ以上は言葉にならなかった。唇から甘みと苦味が一緒になって滑り込んできて、許容量をオーバーした胃が昼食をすべて吐いた。

***

みらい 

 それがむじゅんじゃなくてわがままだってきづいたのはいつのことだっただろう。
 むくろがほしい。
 むくろをてにいれられなかったからじゃない、こひつじのじんせいにむくろがいなかったからじゃない、うつつがぜんぶもっていたからじゃない。
 こひつじはこひつじのいしで、むくろがほしかった。
 こひつじはこひつじのすべてで、むくろをあいしていた。



20180429