海が見たい 

 この世界に砂漠なんてないわよ、と言うのはきっと今通り過ぎた学校から合唱の声が聞こえてきたからだ。振り返って見遣る。中学校。上の地域名は読めなかったけれどもまあ、特別必要な情報じゃあないのだ。
「むくろはばかね」
そんな行動を少女は笑う。ぼろぼろの細い四肢を見せつけるように、白いワンピースを風に揺らせて。
「あんなこがたいせつなの」
 その答えを少女は誰よりもよく知っているはずなのに、何度も何度も問う。バグでも探しているみたいだ。バグだと言うならこのルートすべてがバグなのに、それでも少女は何度も何度も壁に体当たりを繰り返して数秒置けばすり抜けられることがあるかのように。
「大切だよ」
だから、少しでも優しい声になるように努めて返す。
「子羊、君のことだって、大切だ」
彼女がそれを望んでいる訳じゃあないと知っていて、それでも返す。
 用賀骸に出来るのはそれくらいしかないから。この狭い世界で、骸は骸であるために自分の意見をしっかりと言う。
「………いや」
誰かが憎い訳じゃない。それでも一緒になることは出来ない。だから骸は選ぶのだ。
「君が、大切だ、子羊」
 自分の半身と一緒になる未来ではなく、このバグだらけの世界で歩きたいと、言葉にして言うのだ。
「うつつがなくわよ」
「現は泣かないよ」
「ほんとうかしら?」
「本当だよ」
誰よりも傍で見てきたんだから、と骸は言う。強がりでもなんでもない、彼女はそういうことを望まない。骸を得たとしても彼女は完成しないし、元々彼女だって完成したい訳じゃない。…ただ少し、半身をもがれたような心地にはなるかもしれなかったけれど。それは乗り越えられるものだ。だって骸も現も最初から違うものだったのだから。
「…むくろがそういうのなら、こひつじはしんじたくなってしまうわ」
手を取った少女は、今はまだその時ではないとばかりに涙を落とさなかった。



(人を愛したい)

***

そっくり 


 子供だったら良かったのかな、と涸月は思う。涸月はあの独特な喋り方を決められているけれど、それは外に出力するからこそのものだ。だから思考の上では普通の喋り方が出来る。時々間違えてしまうこともあるけれど、まあ大体涸月というのはそういう存在として成り立っている。だから目の前の子供について涸月は静かに首を傾げる。未だ桜色をした唇が、自分のかさかさに乾いてひび割れた唇が、どういう変遷を辿ったのかまるで分からないな、と思いながら。
「こひつじはこげつのこと、すきよ」
そんな涸月のことを気にしないとでも言うように、その子供は言う。はきはきとした声。涸月と同じように壊れた喋り方しか出来ないのに、笑うことしか出来ないのに、子供は涸月と違って明るい。
「うそつきがきらいなのにうそをつくの?」
 だから涸月はまた首を傾げる。
 別に好きと言われることが嫌だった訳じゃあない。涸月は誰に対しても特別な感情を抱かない。だってそういうものだから。強いて言うならきっと本物の来々≠ノは特別な感情を抱いているのかもしれないけれど、そんなのは此処の全員がそうだ。全員がそうならそれが普通になって、特別な感情は特別な感情じゃあなくなる。非道い言い草かもしれないけれども涸月は得てして世界なんてそういうものだと識ってしまっている。
「いいえ、うそなんかじゃないわ。だってこげつはうそをつかないもの」
目の前の子供は首を振る。そして主語を間違えた。否、多分間違えた訳じゃあないんだろう。
「いいなおすわ。つけないものね、うそ」
―――だって、本当はみんな同じだ。
 涸月はそれを識っている。だからこの子供も、涸月が識っていることを知っている。
「こげつはそういうふうにつくられた、そういういきものだもの。うそなんかつけないの、じぶんのおもったようにしかうごけないの、だれのこともかんがえられない、でもぜんぶわかってる、かわいそうなこげつ」
ひんやりとした手が伸びてきて、涸月の頬に触れた。誰かの殴ったあとの腫れた頬にそれは気持ちが良かった。でも誰に殴られたのかよく分からない。分からなくて良かったのだろう、だってそれが涸月だから。そういう設定だから。
 でも気持ちが良いのは本当だから、少し笑って涸月は言う。
「こひつじはうつつにそっくりね」
「それをいったらこげつだってこひつじとそっくりよ」
 その通りだった。
 その通りすぎて、何も言う気になれなかった。

***

感染出来たら良かったのにね 

 何一つ話が進まないな、と思う。これならきっと進まないなりに大学とかにいた方が顔の見えない教授の言語として理解出来ない講義を聞いていた方がマシだったのかもしれない。何一つ進まないなりに理解出来ない言語をこの手は書き付けるし、そういう形だけ≠ノこの世界はわりと優しい。一応回すつもりはあるんだな、なんて誰に思うことでもなかったけれど。
 別にこの世界は来々じゃない来々が回しているものではない。勝手に自殺を繰り返してリセットしてスタートするだけのそういう現象。いい加減聞き飽きたとは思うけれども聞き飽きるなんてこともさせてくれない世界。気まぐれな箱庭。洪水すら起こらないので方舟も造れない。まあ、そんなことになったとしてもそれは役目ではなかったけれど。
 ばりん。
 音がしていた。耳の裏、細胞に染み付いたような、ひどい音。目がちかちかして、どうしようもないバッドエンドが其処にはあって。脳が拒否している。だってこんなルートは認められないから。手を伸ばす。そんな暇があるなら百十番でもしたら良いのに、既に終わりの決まった袋小路でそんな真面な思考は許されない。ただのメタが転がっていく。蒼白な顔をした男が割れていくのを?き集める。
 きれいだ、と思った。それが悲しくて、ただひたすらに?き集める。そんなことしても何もならないのに。消えていく、終わる。掌が鋭利な破片でずたずたになる。血塗れ。もう、匂いもしない。
―――砕け散ったきらきら光る破片、貴方が心だと云うのならそうなのでしょう。
 そんな簡単なことすら言ってやれなかった男の末路など高が知れているけれど、そもそも骸は来々とは直接の知り合いではないのだ。
 少なくとも、このルートにおいては。



(わたしとあなたは違うから)

***

反響する虚しさ 

 とん、とん、とん、と背中を叩く。やさしい温度になるように、心掛けて。
「それが、うつつにしてあげたかったこと?」
子羊は子供の表情のまま、大人の台詞を言う。それを不思議だと思えないのは骸がもう壊れているからか。
「そう、かもね」
「こひつじにそれをしても、うつつはすくわれないわ」
「うん」
「うつつがあなたをあいさなきゃ、のろいはとけないのよ」
「そうかな」
「うつつだけが、」
 その涙の意味を、骸は聞かない。
「あなたをあいせるのに」
これは愛じゃあないのかと、聞くことは出来ない。



@sousaku_odaibot

***

君がいなければ、僕が創ればいい 

 世界というものは常々不安定で、だからこの世界はまるで洪水のようにリセットされることがある。どうしたって許容出来ないものたちが押し流されて壊されて、そのあとどうなるのか知らないけれど。
 混ざった記憶は要らない。彼女が求める整然とした箱庭だけ。
 利木月来々の名を得た自分は、出来ることは何でもやらねばならないのだ。


Cock Ro:bin http://almekid.web.fc2.com/

***

ここは涙で作られた世界 

  かなしいことがあったのね、と上がっていく水位を眺めながら幼い子供の姿をしたそれは言った。
「…なんで俺にも見えてるの」
「わからないわ」
子羊にそれが分かると思って? それは確かにその通りだった。かなしいことがあったのね、子供の声が繰り返される。
「かなしいことなんてないはずだよ」
 来々は、 そんなことしか返せずに。



暗がりで死す @odai_bot_11

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曖昧な足下 

 この足の裏が捉えている場所が本当に地面かなんて、それこそ神か何かでなくては分からないことだったのかもしれない。それを知りたいと願ってしまったのが現で、何でも良いと思ったのが来々で、分からないなら定義すれば良いと思ったのが歪なのかもしれなかった。
 一見、一番真面に見える判断は。
「一番馬鹿、だってことくらい、分かってるわよ」
喪失したこともない処女が、立ちくらみのように消えていった気がした。



蒼 @cielo330bot

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さよならアゲイン 

 来々、と彼はとても優しい声で俺を呼ぶ。多分、彼の恋人を呼ぶのよりもずっと優しい声だ、と本当のところ知っているにも拘わらず俺はそんなふうに多分、と付けて逃げている。
「大好きですよ」
 その言葉の裏を俺は知っていて、当然と思いながらも浅ましい、なんて思ってしまって。
「俺もだよ」
だから嘘を吐く。
 もしも来々が俺を認めて俺に関するすべての記憶が消せるなら、きっと俺は自分の記憶も消してしまうだろうな、と思いながら。

***

何処へも行けない(何処にも行かないくせして) 

 例えば思い立ったら良かったのだろうか、小さな手が自分を引っ張っていくのをぼんやりと見つめながら骸は思う。今だって自分で思い立ったのではない。子羊がそうした方が良いと言ったからそうしているだけ。この街から出よう、なんて夢物語だ。それは分かっている、でもそもそも外に出たいなんて、出ようなんて、思いもしなかった。骸はそういう人間だった、この箱庭だけで完結するように、出来ている。
「そんなことはないわ」
子羊は笑った。少しだけ振り返って、まるで母親が子供にするように。
「だいじょうぶよ、むくろ」
 どこへでもいけるわ。
 そう言わせたのが自分だと分かっていた、骸がこう出来ているように子羊はこう出来ていた。仕方がなかった、そうでしか在れなかった。けれども可哀想にもなれないで、ただ往来を見つめているだけ。
「…免許、取るから」
「あら、とってなかったのね」
多分、今回は、と言うのはきっと、このルートが正規エンディングに繋がらないからなのだろう。



京へ往く自動車(くるま)一台目の前をよぎるこころの柱くだきて / 正岡豊

***

のこりわずかなひびでさえああよごされてゆくのか 

 もう少しでリセットがかかることを子羊は知っていた、というか知るしか出来なかった。その辺りの取捨選択も許されない辺り、この世界は歪(いびつ)というか何というか。融通が利かないのが何とも人間らしいなあ、と思っていた。
 荒野子羊が無事に用賀現になれるまで。こんなことを何回繰り返すのだろう。トライアンドエラー。本当は逆のくせして。子羊が存在する結果の収束として現が存在するのではない、現が存在しますすると確定したからこそ、子羊という可能性がブレ始めたのだ。いつだって先に決まるのは未来や現在で、過去なんてものはあとからついてくる。ついてきてしまう。どちらかが要らないというなら、それは子羊の方だっただろう。それくらいは分かっている。分かってしまう。
「あーあ」
一体今度はどんなふうに死ぬのだろう、こんなのが許されているのは多分、子羊とかがみだけだった。他も死ねば生き返るけれどもそれはただの再生であって連続したものだ。リセットが擬似的にでも許されるのは多分、この二人だけ。
 おんなじなのに違う、おんなじなのに一緒になれない。
「そういえばまだ、ほうちょうでさされたことはなかったわよね」
現がそういう話が嫌いだと言っていたな、と思い出す。子羊は現になるのだからやっぱりこの世界は可笑しいのだった。でも子羊は現を知っているし現も子羊を知っている。
 子羊は結構、あの話が好きだった。
 何度も何度も自殺する主人公のどうでもよさが、好きだった。子羊には出来ないことだから、設定上許されていないことだから。
 子羊は。
 死ぬための生き物だけれども自殺するための生き物ではないから。
「―――」
多分、本当の名前、という設定で呼ばれる。だから、子羊ははい、と返事をする。でないとぶたれてしまうから。ぶたれるのは痛いから。手が伸びてきて頭を撫でたあと、それから迷わずスカートが捲られる。何も履いていないその場所が晒されても、子羊は笑わなければならなかった。そういう設定だった。



バルキュリアの囁き @blwisper



20190305