もうすぐ春です 

 じゃぼん、と音がする。誰かが川が凍っていないか確かめようと、石でも投げたのかもしれない。音がしたということは川は凍っておらず、もうそれだけの気温がないということに―――いや、この場合はある、ということになるのだろうか。
 はあ、と吐いた息は白かった。それなのにもう冬が終わるのか、と思った。確かに最近土のところを歩いてもシャクシャクと音はしなくなっていたけれど。
 春。
 春。
 君を連れて来た春。
 僕らのキューピットが君と引きあわせた、春。
「もう、一年」
君を知って、もう一年だった。
 この地獄に堕ちて、もう一年だった。

***

心理テスト 

 ぱんぱかぱーん、と床に転がったままの可哀想な子は明るい声でそううたった。
「しんりてすとです」
彼女はこちらを向かないままそう呟く。
「あなたはたったひとり、もりのなかをあるいています。まっくらで、あなたいがいはだあれもいなさそうなもりです。ですがしばらくするとぜんぽうから、なにかがやってきました。さて、それはなんだったでしょう」
なんでもいいよ、と彼女は言った。なんでもいいよ、ものでもひとでもどうぶつでも。
 簡単なテストだった。だから、かがみは答える。
「…お前」
結果から逆算して答えるなんて狡いだろうか、と思った。思ったがそれでもそれくらいのズルがなければこの可哀想な子は救われてくれる気にすらなってくれないだろうから。
 ふひひ、と彼女が笑った。
「かがみくん、それはねえ」
―――きみがせかいでいちばんおそれているものです。
「ひとりぼっちのもりでね、ひとはこれいじょうのきょうふになんて、であいたくない、っておもうって、だからこたえが、いちばんさけたいものになるんだってえ」
身体が冷たくなっていくのが感じられた。けらけら、と彼女が床を転がっていく。そのまま壁にぶつかって止まる。
 かがみには、嘘だよ、と訂正する勇気も残っていなかった。

***

好きになりたくなかった 

 あははは、と笑う可哀想な年上の女の子。それを救いたいだなんて思ってしまったことがそもそも地獄の始まりで、事故とは言えキスなんかしてしまったのもそれを加速させる要因だったような気がした。
 ただ、ただ。
 差し伸べた手に頷いて、立ち上がってくれれば。でも彼女はそれをしない。彼女はそれが自分の役目でないと分かっているから。
 僕は。
 自分の役目も分からないまま、迷子だ。



image song「ライン」ポルノグラフィティ

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世界滅亡の夢が正夢に 

 僕は本当は知っていたのです。
 それを言わなかったのは僕が彼を守るために彼自身に生み出されたものであること、それが彼の守りたい大切なもの、それこそ僕に対して言うことのない恋なんてものを起点にしていることなんて、僕はもうずっと昔から知っていたのです。それでも、僕は知らないふりを続けた。僕が、僕の女神とだけずっと一緒にいられるように。それは、それはどれほどに可哀想なことだったのでしょう。
 僕は彼を守るためにつくられたのに、その存在意義をまったくもってこなしていない、そういうことになるのだから。
 それは、ああ、それは。
 僕の世界を僕が壊すというその夢の、まさに実現への第一歩では、なかったのでしょうか。



青色狂気
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ふたりぼっち 

 本当はずっとそうなのだと思っていた、そうなのだと思いたかった。それこそが僕の存在理由で、それ以外は何もなかったから。
 彼の望みを叶えて、それで笑う。笑って笑う。それが、それこそが正しいのだと思っていたかったから彼と立場を交換して、まるで自分の方が上にいるように錯覚―――思い込んで。
 それでよかったはずだった、それだけがすべてで、それが全部彼の望みで、彼の望みを叶えることが僕の喜びなのだと思っていた。
 すべては、逆だった。彼にそう願っていて欲しかったのも、自分の存在を望んでいて欲しかったのも、僕で。
 ああそれは、他にも僕たちがいることがこんなにも辛くて哀しいことなんだと、僕の女神さえが僕のことを責め立てる存在なのだと、気付くことなんてしたくなかった。



レム睡眠
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嗚呼、吐き気がする。 

 いつだってそれは唐突に現れる。
「うつつはどうしてさいのうがないのにものがたりをかくの? はずかしくないの? うつつのそれはとしゃぶつでしょう、ねえ、うつつ。だってあなた、そういったものね」
人の揚げ足を取るように、でも恨まれない程度の子供らしさをもってそれは言う。同じはずなのに違う、それは再現されたからか、こんな箱庭の中にいるからか。
 誰も子羊なんてものは知らないはずだった。
 これは用賀現個人の幻影であり、何処までいってもついてくる影。それ以外のなんでもなかった、だからこれは現が殺さないといけないのに。
 幻だからだろうか。いつだってふいっと、現の手をすり抜けていく。
「こひつじにうそなんか、つかないでしょう? うつつ」
いや、元から手なんて伸ばせていなかったのだろうか。
「だって、うつつはうそをつかれるのがだいきらい」
そうだ、大嫌いだ。
「だいきらいなことをしたかったら、うつつにはこげつがいるもの」
 あれはそういうものでしょう? と首を傾げられて、それはもう何も疑わない子供のような眼差しで、それが自分の根底なのだと知ってずくり、と腹の辺りが痛んだ。自分でなければ、そう思っている。自分でなければ良い、他の誰かが犠牲になってくれれば。
「こげつにしたらいいのに、うつつがこひつじにするいみがわからない」
それでこの箱庭は完成する。
「それとも、うそをついたの?」
完成してはいけないものが、完成する。
 「うそをついたのならそれはどうして?」
もう幻影は目の前に来ていた。それでも現の手はその細い首に伸びない。伸ばせないのが正しいのかもしれなかったけれども最早こんな馬鹿馬鹿しい空間でそんなこと、どっちだって良かった。
「こげつがかわいそうになったの?」
―――あれが、可哀想、に?
「うつつが?」
「………そんな訳がない」
やっと返した言葉はからからに渇いていて、それに満足したように幻影は笑った。思い出したように手を伸ばしてみればだめよ、と軽い身体は引いていった。
 逃げ水みたいだな、と思った。
 それだけで、まだ腹の痛みは続いていた。

***

強くなければ生き残れない 

 それは時折違う表情をする。それが用賀現には心底気持ちが悪い。
「うつつはほんとうに、ばかね」
そう零した訳ではななかったのだけれど、それは元々は現だったものであるしつまるところ現だけに見えている幻影で現自身であるので心の底を見透かされてしまうのは仕方のないことだったのかもしれない。仕方のないことだとしても、気分が悪いことには変わりがないのではあるけれど。
 だって、こんな、幼い頃の自分の顔をしたものに。
 すべて分かった顔をされるなんて。
「うつつのものがたりがなんでつまらないのか、おしえてあげる」
ぺら、と小さな手が書きかけのノートを攫っていく。流れていく風のようであれ、そう願いを込めて付けたキャラクターの名前をなぞって、幼い自分は訳知り顔で言う。
「それ、うつつのきぼうでしょう」
希望。
 その物語の何処に希望があるのか。確かにこれはハッピーエンドの部類ではあるが、何処にも希望なんてない。だって何も解決していないのだ。ただ主人公が赦しの言葉を発してやった≠セけ。未来がそれで動いただとか何もない。その辺に転がっているような陳腐な物語。
「こうなりたいっていう、きぼうでしょう」
―――たすけて。
「たすけてほしかった? すくってほしかった? きづいてほしかった? むししないでほしかった? ものがたりのしゅじんこうたちはいいわね、だれかにたすけてもらえて。でもうつつのことはだれもたすけてくれない」
「私、には………骸が、」
「むくろ?」
双子の兄、最近になってやっと再会出来たその運命の兄の名前をやっとのことで呼べば、幼い顔は笑う、笑ってみせる。
「ほんとうに、かわいそう」
お前、だって。
「よわいのね。うつつ」
「誰が、」
「つよくなろうっておもうたびに、うつつはよわくなる。えすおーえすをだしても、ぜんぶ、まわりのおとにけされてしまうの。ねえ、だれもきづかない。むくろも、きづかない。それってどんなきもち? つらい? かなしい? じぶんにもえすおーえすがきこえないって、どんなきもち?」
「それはお前だろう」
「あら?」
 にっこり、と効果音が付きそうな笑顔に、こいつは私じゃない、と言い聞かせる。
「こひつじにはちゃんと、たすけてっていえるつよさがあったもの」
あなたはしっているわよね、とそれは言った。
 その通りだったので、現は何も言えなかった。

***

この生命は誰がため 

 雪が降っていた。
 こんなところに珍しい、と思う。小さい頃、まだ骸と暮らしていた頃には一度大雪が降って一緒に遊んだ記憶があったけれども、雪が降るなんてそれ以来なんじゃないのだろうか。しんしんと降り積もる雪に、誰も踏んでいない道に、足跡を付ける時。可哀想だな、なんて思った。こんな、折角振ったのに誰とも知らない世界でどうでも良い人間に踏まれてしまって。
 もっとほら、雪だるまになりたいとか、あっただろうに。
「なにかのためにうまれてくるなんて、ほんきでしんじているの?」
そんな思考をしていたからか、後ろから近付く足音に気付くことが出来なかった。
「そんなのよまいごとよ」
 振り向いた先にいたのは最早追い払うことも諦めた幻影で、こんな冬の真夜中だと言うのに白い袖のないワンピース姿で見ているこっちが寒くなる。幻影のくせに、どうしてそう季節をわきまえない格好になるのか。それともこれは幻影なのだから、現がそんな格好をしたいとでも思っているのだろうか。骸は、双子の兄は、褒めてくれるだろう、けれど。この歳にもなってノースリーブのワンピース、しかも白一色だなんて。
 子供っぽいと言われないだろうか。
「しあわせなのうみそがつくりだした、もうそうだわ」
子供は笑う。子供らしくない顔で。こんな顔を幼い頃にした覚えはないから、きっと今こんな顔をしているのは自分なのだろう。
「………でも、」
そう思ったからではない。多分、雪が降っていたから。理由なんてそんなもので良い、あれを、殴るように。
「それを信じたいのが私、なんだろう」
もう抵抗はしない、という合図だった。
 「だからお前も、信じているんだ」
少なくとも現はそのつもりだった。
「この生に、意味があることを」
「あはっ」
間髪入れずに子供は笑う。
「うつつも、おもしろいじょうだんいえたのね」
それがただ普通に面白いと思っている顔で、一気に寒さが増して感じられた。

***

殺すも愛すも同じこと 

 用賀現が子供の頃、自身にそんな癖はなかった、とそういうことを兄に確認してきたその日の夜。やはりと言うか言葉を吐くだけの子供は現れて、ソファの上に勝手に座ったかと思うとその癖を始めた。
「お前は、死にたいのか」
問うと素直に首が傾げられる。いつも、現に向かって吐いている毒は何処へ行ったのか、それともあれは毒なんかではないのか。
「いつも、そうやって首を弄っている」
 言われて初めてそれは自らの癖に気付いたようだった。くび、と自分の首を見遣って、その真ん中の辺りが黒く痣になっているのを見てあら、と声を上げる。
「うつつはしにたいの?」
何故現の話になるのだろう。
「別に」
「じゃあこひつじもしにたくないわ」
なんだそれは、と思ったがそもそもこれは現なのだった、と思い出す。こんなのが自分だとは認めたくはないけれど、それでもこのか弱いいきものは現が創りだした紛れもない自分自身なのだ。
 物語の中でさえ救ってやれなかった現自身なのだ。
「死にたくはない、けれど………」
「けれど?」
「生きているのが疲れることは、ある」
「…ずるいいいかたね」
だいきらいなおとなといっしょよ、と子羊は言った。その小さな身体を抱き寄せて、現はそのままソファに沈んだ。
 子羊は抵抗しなかった。そんなこと、最初から知っていた。

***

ヒーローになんかなりたくない(なれないの間違いでしょう?) 

 カリカリとペンの走る音がする。とても退屈な音。世界の構成される音。つまらない音。どうだって言いようがあったけれども現はこの音が好きだった。自分の書く物語も。どれだけつまらなくたって良い、そう叫んだのは嘘じゃあない。だって現は好きなものを、書きたいものを書いているだけなのだから。そこに他人の評価は、必要、ない。
「どうしてこのものがたりのひーろーは、べてるぎうすっていうの?」
 と、一人で思考したい時に限ってこれは現れるのだ。諦めるべきなのは分かっていたけれども同じ顔をしたものが其処にいるという事実が現を狂わせる。これは、いてはならないものだ。ずっと奥、何処かも知らない場所で警報が鳴る。さっさと殺してしまえ、お前になら出来るだろう? それが役目だ、だから君は―――その先はノイズになって聞こえない。
「ベテルギウスは…光の輝きを度々変えるから。気まぐれ…そういうのにしか、ヒーローは務まらないと思って…」
「そう」
ノイズを振り払うように気まぐれな質問に答えてやると、訳知り顔で子羊は頷いた。
「うつつはひーろーになりたいのね」
 かたん、ペンが落ちる。ノートも後を追っていく。まるで心中だ。今書いている物語のような。
「とってもばからしいわ」
 その後、どうやってペンとノートを拾ったのか覚えていなかった。ただ物語の中で、主人公は笑っていた。それだけが救いだった。



20170423