あなたの所在 

 瓦礫の山になってしまった黎明堂の片付けが済んで暫くした時のことだった。
 いつものように三時のおやつをしていた涼水は、はた、と一つのことに気付く。
「ねえ、いずみ」
「何?」
「この間来たHって人、天使って言ってたよね」
「ウン」
「その人っていずみの双子のお兄さんなんだよね」
「そうらしいネ」
「………いずみって人間じゃないの?」
「そういウことになルだろうネ」
あっさりと肯定されて逆に拍子抜けするくらいだった。
「っていうカ気付くノ遅くなイ?」
 もう大分経ったよ、と続けられても、今気付いたのだから仕方がない。
「イザヨイはすグ検体寄越セって煩かったノニ」
天使なんて調べたことない! ってすごく騒がしかったよ、と言ういずみは少し疲れているようにも見えた。自称マッドサイエンティストは、涼水と同い年とは思えないほど頭が良いのに、同い年とは思えないほどテンションをあげることがある。あれはあれでバランスを取っているのかもしれないと、最近では思い始めてきたがしかし、それでも慣れることはない。
「怖イ?」
いずみが言った言葉が、一瞬理解出来なかった。
「僕が、人間じゃなイこと」
 人間じゃ、ない。言われた言葉を噛み砕いて飲み込む。天使。確かに、そう言われてみればそうなのだろう。いずみが天使だということは、いずみは人間じゃないということで。
 でも、
「怖くはないよ」
それは断言だった。
「私は…」
半ば見切り発進の言葉がうろうろと彷徨うのをいずみは待っていてくれている。それが、涼水にはとても嬉しい。
「私は、いずみがいずみなら、それで良かったし…」
「なにそレ」
「だから、その…ッ」
言ってしまったら恥ずかしくなった。
「いずみが、一緒なら…別にいずみが人間じゃなくても、気にしないの!」
「………そういウもの?」
「だって、天使だからって何が違う訳でもないんでしょう?」
「そウ、らしいケド…」
「なら良いじゃない」
納得がいっていない様子のいずみは放っておいて、おやつに戻る。
 だから、ずっと一緒にいてね。
 続けようとした言葉は、どら焼きと一緒に飲み込んだ。

***

瞬間的逃避行 

 殺すような依頼量だったと、いずみは言った。くったりと台所の冷蔵庫の前で伸びながら、食洗機のホースに張り付いている。暑くないのだろうか。
 夏の終わり。まだ残暑も残る中、ホースに張り付くなんて自殺行為に見えるけれども。いずみの感覚は分からないし、今までもそうしている場面を見ているので涼水が特に今更ツッコむことはしない。
「海に行きたイ…」
「海?」
「涼水、海行きたくなイ?」
「うーん、行きたいか行きたくないかって言ったら行きたいけど…」
仕事あるって言ってなかったっけ、と涼水が続ける前に、いずみがさっと立ち上がった。びっくりする。動けたのか。
「じゃア行こウ、今すグ行こウ」
「ちょ、いずみ、」
「ア、紫子? あの仕事のことだけどサー」
何処から取り出したのか携帯片手に走っていったいずみに、涼水は何を言えることもなく、ため息を吐いて出掛ける準備をし始めた。

 そういう訳で海に来た。どうやって来たか、というのを説明するにはあまりに涼水の精神に異常を来しそうな為割愛しよう。
「イヤー、見事に誰モいないネー」
目の前にした海は閑散としていた。当たり前である。世間はすでに秋に突入している。いくら残暑が厳しかろうが世間では既に学校も会社もきっちり始まっていて、こんな真っ昼間から海に来れる人間など、こうした自営業(自営業?)くらいしかないのではないか。
 そうは思うも、涼水はそういったツッコミを一切しなかった。しないでいようと決めていた。いずみにはきっと涼水の思っていることなどお見通しなのだろうけれども、それでもいずみが合間を見つけてこうして海に連れて来てくれたことを、嘘にしたくなかった。
 誰もいない海。屋台も何もなくて、ただ砂浜を二人、足音を立てて走るような。
 くだらないことだ。そのくだらないことを、きっといずみは一人ではしなかったし、だからこの瞬間はきっと、涼水だけのためのものなのだ。
「…まタ、一緒に来ようネ」
くたくたになった涼水に、いずみは夕焼けの中、そう呟いた。
 その言葉が嘘になってしまうことを、きっと涼水は知っていた。けれど、頷かずにいることなんて出来なかった。この馬鹿みたいな約束がいつかいずみを苦しめることになると思っても、それでも今必死で絞り出したであろうこの優しさを、無にしたくはなかった。



いずみがためらった後「また、一緒にこようね」と言う早秋の話
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20170113