吸血鬼(ドラキュラ)。それは人の血を飲み生を繋ぐ闇の生き物の名前。人間はそれを忌み嫌いバケモノと呼び、自らの身を守るようにして生きていた―――。

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 「カレン」
月も溶けそうな闇。それに紛れるように声がした。振り向きもせずに、カレン・ハスフォードは口元を拭う。
「…師匠」
「血を飲んだのですか」
カレンの足元には一人の人間。うつ伏せになった背中が上下しているところを見ると、どうやら生きているようだ。
「はい。最近ずっと飲んでいなかったので」
師匠と呼ばれた女性はそうですか、とだけ呟く。その長い髪も細身のコートも真っ黒で、それらが彼女をいっそう闇に紛れ込ませるようだった。ただ一つ、血のように赤い瞳だけが、爛々と彼女が確かに其処にいるのだと主張している。
 「カレン」
次の呼び声は叱責の色を含んでいた。遠く、ぼうっとしていた青の瞳が師匠へと移される。左の眼球に蝶のような不思議な痣が見て取れた。
「人間の血を飲むことにまだ抵抗を持っているのですか」
沈黙が、答えだった。師匠はため息を吐く。
「言ったでしょう、私たちは人間ではないのです。人間はただ姿が似ているだけの生き物に過ぎません」
「でも師匠、」
「でもも何もありません。貴方が何を言ったところで、吸血鬼は人間にはならないのですから」
ぐ、と唇を噛む。通り抜けていった風が、その金の髪を揺らしていく。
「でも、オレは怖いんです」
「怖い、ですか」
「オレがいつか、オレでなくなるような、そんな気がして」
 バケモノと、そう呼ぶのは人間だけではない。姿形が近いからこそ、そうであれない自分を疎んで、蔑む。生きるため、それがいつしか快楽のために変わるのではないか。危うい一線で保っているようなこの脆い自我が、消えてしまうのではないか。
 そう思うと、怖くてたまらない。
 「…それは、吸血鬼に課せられた運命というものですよ」
その言葉が逃げなどとは思ったことはなかった。師匠も一人の吸血鬼として、戦っているのだろうとカレンは想像出来ている。
「分かってます」
「それなら良いのです」
戦うことを止めるな、考えることを止めるな、いつでも誇り高き吸血鬼であれ。吸血鬼と分かって師匠に引き取られてから、散々繰り返された言葉。それを忘れたことはない。
 見上げた空の端が白み出していた。帰りますよ、という師匠の背中についてカレンは歩を進める。
 吸血鬼は闇の生き物。太陽の昇るこれからの時間は、人間のものだ。



20130821

***

 

 「吸血鬼(ドラキュラ)さん?」
幼さを滲ませるその声にびくりと肩を震わせたのは、カレン自身がそう呼ばれる闇の生き物だからだ。
 所謂お遣いの帰り道。腕の中には日用品が詰め込まれた紙袋。ひやり、銃口を突き付けられているかもしれないと、ゆっくりと振り返る。
「…それは、オレのことですか?」
動揺を悟られてはいけない。カレンの正体は人間には隠しておかなければ殺されてしまう。それが闇に生きるものの運命(さだめ)、彼らにとって脅威である存在の末路。貼り付けた笑顔で見たものは。
「…花の精、ですか?」
座り込んでいたのは白い少女だった。人間ではないのが一目で分かる。人間の頭に花は生えない。
 くるりと輪のように花を生やしているその姿には見覚えがあった。尤も、本の上のみでの知識として、だが。
「オレに、何か」
「あれを見ていただけますか?」
少女の指差した方に視線を投げる。相手が人間でないのなら少しは安心できた。その先には、手折られて捨てられた小さな黄色い花。
「あれは私です」
「…むごい、ですね」
「人間とはそういうものです」
少女は笑って言う。その笑みは何処か痛々しい。
「私を見つけて掴んだかと思うと、そのまま引きちぎり捨てました。最初からそのつもりだったようです」
小さく呻く。人間は良く綺麗なものを集めたがる。その延長線として摘んで帰りたいと思うのならばまだ、理解のしようがあっただろう。けれど、彼女を手折った人間はそういう意図ではなかったようだ。
 健気に咲く花が憎らしかったとでも言うのか。
 「連れて行ってもらえませんか」
じっと、少女がこちらを見ていた。
「私はまだ消えたくありません」
花の生命は短い。このまま放っておけばその短い生命は更に短くなり、土に還るだけだろう。元々人間や吸血鬼といった生き物よりも花は感情が薄いはずだ。何の問題もあるまい。
 しかし、彼女は消えたくないと言った。
 何を思うよりも先に、身体が動く。花を拾い上げた指は何処かぎこちなかった。
「…家につくまで、我慢してください」
「ええ、喜んで」
花を包んだ方の肩に少女がふわり、と腰を下ろした。重さはない。
 植物に温度などないはずなのに、冷たい指先が温まっていくような、そんな気さえした。



by 50のお題



20130821

***

 とある少女と、また違ったとある少女の、ある日のお話。

BRUIN 

 少女、ブレイン・グレイズはその日一人、公園でぼうっとしていた。小さな子供の遊ぶ声も耳を抜けていくだけで心が何処か遠いところへ落ちてしまっているような気さえした。そんな彼女の視界を金色が掠めたのは偶然と言えば偶然で、必然と言ったらそうなのかもしれなかった。
 「…あ」
金色を認識した瞬間、反射的とも言える速さでブレインは声を上げていた。金色が驚いたように揺れて、さらさらと音を立てる。
「どうかしましたか?」
金色は人だった。綺麗な金色の髪をした、ブレインと同じ年の頃であろう少女。
「あの…?」
青い瞳。蝶の形にも見える不思議な痣が見える左目。
「―――きれい」
気付いたら、呟いていた。催眠術や何かよりもずっと夢心地で、その青い蝶を美しいと思った。
 目をぱちくりとするその少女は、更に驚いたようだった。
「す、すみません。私…いきなり…」
はっと我に返るとブレインは俯く。例えそれが褒め言葉だったとしても、知らない人間に突然話しかけられたら驚くのは当たり前だし、もしも彼女がその痣を気に入ってなかったら初対面で侮辱されたも同然だろうに。
「あ、あの、」
顔を上げて謝罪しようとすると、
「ありがとうございます」
「…え」
少女は笑って礼を述べた。
 お隣良いですか、と少女はブレインの隣を指差す。こくりと頷くときれいな少女はすとん、とそのベンチに腰を下ろした。
「オレはカレンと言います」
「私はブレインです」
素敵な名前ですね、とカレンが言うとブレインははにかんだ。幼い頃はレインと誂われたりして嫌いだったこの名前だけれど、今はとても好きだと思えていたから。それに、きれいなカレンがそう言ってくれると、もっとその名前が素敵になるような気がした。
「ブレインは散歩ですか?」
カレンの問いかけに首を振る。
「私は、」
見上げた空は赤く染まり始めていた。
「私は、死ぬ心構えを、していました」
ぱちり、とその金色で縁取られた瞳が音を立てる。
「ええと、それは聞いても良いのですか?」
「ええ。聞いて下さい」
 その病気は特別珍しいというものでもなかった。治療法も確立していて難病指定も受けていない。ただ、その治療にはとてつもないお金がいるというだけで。
 血液が腐る、と。その言葉を聞いた時、ブレインも母親も顔を見合わせてしまった。そんなことがあるものかと。生きている人間の中で毎日生産されるその血液が、腐っていくだなんてそんなことが。
 しかし、眼前の医師は無情にも言い放った。助かる方法は一つだけです。今の段階では悪い血の貯まっているところは一箇所で、そう大きくもありません。そこをきれいにそうですね、掃除するイメージでしょうか、別段血管がどうこうなっている訳ではないので。それを何度か繰り返せば悪い血は完全に除去され、元の健康な血液がその代わりにちゃんと働くようになります。一度で出来ないのはですね、人間には失うと危険な血液の量ってあるでしょう、貴方の病気の進行はそれに限りなく近いので、安全策として何度かに分けてやる必要があるんです。でもですね、一日経てばまた悪い血も増えちゃう訳で、なかなか終わらなくなってしまうんですよ。
 そして最後に、その治療の全額を。
 最低、と示されたその額ですら、グレイズ家には厳しいものだった。貧乏の一歩手前と言ったその経済状況の中で、まだ下にも妹弟がいるのだ。
 グレイズが手を伸ばせる選択肢は、一つしかない。
 「悲しく、ないんですか?」
「そうですね、分からないんです。あまりにも突然すぎて、ぼうっとしてしまって」
実感が沸かないんですよ、と困ったように笑ってから、今度はブレインがカレンに問う。
「カレンも散歩ですか?」
「いやオレは―――」
はた、と何か思い付いたような顔。
「オレは、食事をしに来ました」
「食事、ですか? 晩ご飯?」
まだ時計は四時を回ったばかりだった。流石にお昼にはもう遅いが、晩ご飯にも早い気がする。そうですね、と少し考えこむようにして答えたカレンは、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
「栄養補給、って言った方があってるのかもしれません」
「栄養?」
更に分からなくなった。
「オレ、」
ぶわり、と周りの音が遠のいた気がする。
 「吸血鬼(ドラキュラ)なんですよ」
 目を見開く。
「ドラ、キュラ…」
子供の声が違う世界の音のようだ。
「はい」
にっこりと笑ったカレンはそれでもやっぱり綺麗で、まさか彼女が人間の血を飲む闇の生き物だなんて、まるで信じられない。
「そこでお願いがあります」
「な、に…」
吸血鬼のお願いなんて一つしかないだろうに。
「オレの、晩ご飯になってください」
その指先がすっとブレインの首筋を撫でた瞬間、意識が何処かへと引っ張られていく。
 いただきます、とカレンの声を暗闇の中で聞いた。

 はっと開いた目が映したのは真っ白な天井だった。脇に掛けていた母親が急いでナースコールを押してそれから。両親と警察が揃っているのを見て、漸くブレインは自分が襲われたことを思い出した。そっと手を当てた首筋には厚いガーゼと包帯。この下にはでこぼことした歯の跡が残っているはずだ。噛まれて、血を吸われた跡が。
「なんで…生きているの…?」
あの瞬間、死ぬと思った。恐怖というよりもあれは安堵で、病気でじわじわと死ぬことが怖かったんだとあの一瞬で気付いた。気付いたからと言って何になる訳でもないとも思ったが。
 吸血鬼は人間が死んでもその血を飲み続ける。そういう生き物じゃなかったのだろうか。
「ブレイン」
ふらりと寄ってきた母親がやっとのことで口にしたのは、
「病気、治ったって…」
「…え?」
ひどく場違いで不思議な言葉だった。

 聞いた話をまとめると、吸血鬼に襲われている人がいると、警察に匿名の通報があったらしい。すぐに駆けつけると倒れているブレインがいて、重篤被害者として病院に搬送、吸血鬼対策機関による充分な治療と言うことで輸血を受けたのだと言う。吸われた血液は人間にとって失うと死に至る可能性さえある量で、それは不思議なことに悪い血だったのだと言う。腐っていたそのすべてが綺麗さっぱり吸い出され、代わりに健康な血がまた元のように働き出し、もう再発の心配もないとまで言われてしまった。
 今まで通りの生活。
 貧しいながらも働いて、下の兄妹を可愛がり、家族全員でご飯を食べる。そんな在り来りな幸せが、またブレインの手の届くところへとやって来た。
 警察には綺麗な吸血鬼のことは言わなかった。突然後ろから襲われ、顔は見ていないということにした。
 あまりに、出来すぎだと思ったからだ。偶然カレンが悪い血を吸って、偶然通報が早くて、偶然ブレインが助かって、偶然病気も治ってしまう、なんて。そんな偶然の連続が起こり得るなんてにわかに信じられないと、ブレインは思う。だがしかし、それが彼女の意図するものであったのなら。
 それはきっと、あまりに簡単に起こり得る「偶然」になる。
 あのあと聞かされた話の中の一つに、吸血鬼の中には人間を殺さずに少しずつ血をもらうだけで済ます派閥もいるというものがあった。カレンはそうだったのかもしれないと、今なら思うのだ。捕食者としては彼女は優しすぎる顔をしていたから。それに、吸血鬼が人間の身体の何処でも、好きなところの血を吸える(例えば首筋に噛み付いたとしても、生まれたばかりの血を吸うことが可能なのだ)という話も、匂いで何処にどんな血があるのか分かるという話も有名であったし、機関の人にその両方が真実だと教えてもらっていたから。
 だから、もしかしたら。
 「…ありがとう、カレン」
そっと呟く。自分を助けてくれた綺麗な少女に、生命を救ってくれた心優しい吸血鬼に。

 「やっぱ悪い血は不味い…」
きっと同じ空の下、何処かで。
 蝶の眼を細めて、少女が一人、呟くことを願って。



20130822

***

無法地帯の居酒屋なんてこっちから願い下げだ 

 「お客様、おやめください」
 そんな声と共にそのお客様が宙を舞ったのはどう足掻いても私の所為である。だって私がお客様であるその頭頂部がつるっつるに禿げていて、お腹がこれでもかと言うほどでっぷりと出た男の襟首を掴んで、ちょおっと力を入れてほいっと投げ飛ばしたのだから。あの瞬間の表情は見ものである。だって何が起こったのか分からないって顔でぱちくり、空中でそのつぶらな瞳を瞬かせたのだから。ちょっとかわいいところもあるんだな、なんて思った。
 そんなことを思っている間に、お客様は他のお客様―――ちなみにこちらもお冷を運ぶ度にセクハラをしてきたテーブルである。先ほどのお客様と大差ない。そこへとどんがらがっしゃーんと華麗に着地した。私は満足気にふふん、と鼻を鳴らした。こういうのを自業自得というのは父から聞いて知っていた。私の父はそれなりに高名な学者で、なかなかに博識なのだ。その娘である私がものを知らないなんてことはない。
 ちょっとした阿鼻叫喚になっている其処を眺めながらそんな思考をしていたら、後ろからにゅっと出てきた店長が真っ青な顔をしていた。更にその後ろからぬっと出てきたマネージャーには叩かれた。
「スズミちゃん、君、流石にもう庇えないからね」
それは、事実上のクビ宣告だった。



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20140808

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20180202 統合