憤怒の意味
言われた通りお菓子は美味しかった。 ついでに言うとお茶も美味しかった。 母親は雛さんというらしい。 「ひよこって書いてひいなです。ちなみに苗字は六つ合うでくにです」 「あ、表札見たんで大丈夫です」 「あら、そうでしたか」 雛さんはにっこりと笑ってまたお茶をすする。 生まれた時から狐面をする僕らは、面の上からでもその表情がだいたい分かるのだ。 その動作一つひとつも上品で、現代にもこんなヒトがいるのかと思うと不思議だった。 前時代的、とまでは言わないが、古きよき、そんな感じのヒト。 「あの子の父親の狐面がね、黒なんです」 唐突に言われた言葉に頭がついていかない。 「私の夫ですね」 「…あ、ああ、そうなんですか。仲が悪いんですか?」 突っ込んだ質問かとは思ったが、こうしてお茶に招待されるくらいである、 どうせ突っ込んだ話までする気なのだろう。 どうして僕に、と思わなくもないが、 先に問うたのはこちらであるので聞き役に徹することにする。 「そうですね、仲が悪い、その言葉だけじゃあ足りないくらいには悪いですね」 かり、とかじったそれは砂糖でできているようだった。 甘みが口の中の水分を取って行って、お茶が欲しくなった。 それを察したように雛さんがおかわりと注いでくれた。 その流れるような動作に思わずお礼を言うのも忘れる。 「私ね、離婚してるんです。此処、六合の家は私の実家なんです」 「あ、そうなんですか」 「前の夫は、ひどく癇癪持ちで、よく私にもあの子にも手を上げました」 そういうヒトがいるのだと言うことは知っていた。 けれどもあくまで知識だ。 僕はこうして雛さんが喋るのを聞いて初めて、それが現実だということを知った気分になった。 「ですが、優しい時は優しいんです。 我に返った後は、手を上げたことを謝ってくれたのです。 ですから、十年も無駄にしてしまいました」 「それで、黒が嫌なのですね」 「そうでしょうね。あの子にとっては痛かった記憶を呼び起こすものでしょうから」 僕は黙って湯のみの縁を見つめていた。 「あの、」 「でも、」 もう、帰ります。 そう言うつもりだった言葉は遮られる。 「あの子は貴方に触れました」 「それは、僕が強く言ったからで」 「嫌な言い方ですが、あの子は強い言い方には慣れています。 本当に嫌ならば貴方を撒いて逃げることも出来たはずなんです」 あの子、学年でいっとうに足が速いんですよ、と雛さんは笑う。 高等学校で、男の子もいるのに、その中でもいっとう。 そう言われて僕は、子鈴が予想よりも大人であることを知った。 勿論、高校生だからと言って子供には違いはないが。 「ですから、もし八一紀くんが良ければ」 そっと手を添えられる。 「またうちに遊びに来てくださいな」 かたん、と音がした。 そっと目を上げると、奥のふすまの隙間から子鈴が覗いていた。
六合雛(くにひいな)
20140920