小瓶の世界
「あのー、すいません……この右からニ番目にある『夢』っていくらで買えますか?」 そんな声に顔をあげると、あ、と声が漏れる。 「酒巻(さかまき)くん」 「えっ何で名前」 「…同じクラスの木辺(きべ)です」 「えっ」 びっくりしたように酒巻くんは止まってしまった。 その表情にああ覚えていなかったのだな、と思う。 なんだか悪いことをしてしまったような気分だ。 でも正直、隣の席の人間のことくらい覚えていると普通は思うだろう。 よって私は悪くない。 重たく下りた沈黙をのけるように、私は指差された小瓶を見た。 『夢』 確かにそう書いてある。 昨日までなんにもかかれていなかったラベルには、かわいらしい文字で夢、とだけ書かれていた。 中身はきれいなきれいな『あお』。 これはどこから取ってきたものだったっけ、と思いをめぐらせる。 ああそうだ、今人気絶頂のアイドル。 その子の、絶望。 「ほんとうに、これが欲しいの?」 じっと、彼を見た。動揺したように肩が揺れる。 それをみて私は笑った。 彼が何にそんなに驚いたのか、もう分かっているからだ。 私の目。 さまざまな『あお』を混在させた、 それでもそれぞれがその色(そんざい)を壊すことなくいる、その目。 大体人はこの目をみてびっくりする。 びっくりしなかった人は少ないから覚えている。 最近でいうと、同い年くらいの男の子がびっくりしなかったな、と思い出した。 でも彼は代わりに、うらやましそうな目で私を見ていた。 「…うん」 そんなことを考えていたものだから、酒巻くんが何に頷いたのか一瞬分からなかった。 「ほんとうに、これが欲しいんだ」 「…そっか」 私と喋ることが出来た時点で、この答えはわかっていたようなものだった。 「じゃあ、はい」 「え」 ぽかんとしている酒巻くんの手に小瓶を押し付ける。 彼の大きな手の中で、それはきらりと煌いた。 そうだね、と私は心の中でだけ呟く。 きっとその方が良いでしょう。 「え、お金は」 「いらない」 「でも、そしたら木辺さんが怒られるんじゃ」 その言葉にははあ、と思う。 きっと彼は、私がここのバイトか何かだと思っているのだろう。 まぁ訂正してやる義理もないし、いいか、と曖昧に笑って見せた。 彼がどきっとしたのが分かって更に笑う。 なにこのひと、わかりやすい。 「そういう店だから、ここ」 「はぁ…」 「そういうことだから、じゃあ」 手をふったら、酒巻くんは一瞬でそこから消えてしまった。 今日はもう店じまいだ、あくびをして奥にひっこむ。 きらきらとした絶望たちが、私にまだなの、と囁いていた。 「まだだよ」 うたうように返す。 「絶望は正しいところにしかいけないんだから」 酒巻くんはあれをどうするんだろう、少しだけ気になった。 席も隣なのだし、直接聞くのもありだと思った。 思ったけれど、きっとそれは出来ないと、そういう予想も出来ていた。
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20140709