夢のあわい 

 羽根が伸びる。伸びる。伸びる。
 ずる。
 びちゃ。
 ずる。
 びちゃ。
 おぞましい音を立ててわたしがわたしに成っていく。わたしはわたしを為す。わたしにしか出来ない行為、不可視の羽根を広げて乾かして、この大空に旅立つことなど決してないのに。それでもわたしはうたうのだ。この潰れた咽喉の中に空気を通して、ギィギィと。

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葬列の嵐 

 どれだけこれが愛なんだと喚いたところでそれが本物になったりしないし物語になったりしないし僕らは一生石ころのままで自分の中に何が入っているかも分からないまま。例えば本当に宝石だったとして、誰がその価値をつけてくれるの。それはとても馬鹿馬鹿しいことなのかもしれないね。そんなふうに笑ったあなたが焔に飛び込むなら、僕は石ころのままで構わないよ。こんな世界、誰だって嫌いだよね、そうだよね。

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仲間はずれ 

 昼間の月はいつだってきれいだった、それこそコンビニで見ようとも学校で見ようとも用水路で見ようとも変わらない。けれども真夜中の月はいつだって兵器だ。あああ、と僕は顔を覆う。その顔には動物の毛が生えていた。狼のような、そんな毛が生えていた。僕は夜の月に反応して人間ではなくなる、人狼の仲間にもなれないかわいそうな生き物だった。

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愛なんていらない、君もいらない 

 私の土地には神様がいた。悪い神様でも良い神様でもなくて、ただ単に悪いものを食べる≠スめだけの神様だった。私はその神様のことをまるで要らないものを処理することを体よく押し付けられたみたいだと、憐れんですらいたというのに。
 ある日、すべてがひっくり返った。雨の中何も言えずにいる私にそれが現れたのは、どうせ考えても意味はないことだ。どうして、なんて。誰も答えてくれない。
「かえって」
からからになった喉であえぐようにして言ったそれは、伝わっていたのかどうか本当は分からなかった。でもそれは仮にも神様だから、例え言葉になっていなくても分かるのだろう。土地の神様だ、土地にいるものが何をしてるのか、何を思っているのか分からなければその畏怖は失われる。それが神様としてやってきたなら、そういうものなのだろう。
 世界に境はない。だから、それだけの話であったなら、きっと私は村人たちを恨むだけで済んだのに。
「でも、私のこと呼んだでしょう?」
それは首を傾げる。その仕草は私のよく知るもので、だから吐き気がする。
「呼んでない。私が呼んだのは私の親友だ」
人間でないものはこちらのことなど気にしてくれない。好き勝手な顔で私をいざなう。それがどれだけ人間にとって非道なことなのか知らずに、愛というものがきっと崇高であるのだとそんなふうに思うだけ。生きているのだから良いだろう、そういった様子で。何も知らないくせに、人間の真似をしているだけのくせに、私と同じ、ただの女のかたちをしているくせに、この口が私たちの罪を喰っているのに―――私の親友を、喰ったのに。
 誰だって同じだった、同じだったから彼女が選ばれた。一番弱っていたから、一番足手まといだったから、だから彼女がすべてを背負って滝に身を投げられた。足掻けぬように手も足も縛られて早く死ねるように喉も潰されて。どんなにつらかっただろう、どんなに痛かっただろう。それでも私は彼女を助けることは出来なかった。
「だから呼んだと言っているのよ」
彼女と同じ顔で、それは言う。食べたものの顔になるなんて、そんな話は聞いたことがなかったのに。それは彼女の顔をやめない、やめられないのかもしれなかった。
 神様とは私たちが思っているよりもずっと不便で、繋ぎ止められたものなのかもしれなかった。
「―――私、貴方を赦さないわ」
「そう」
慣れているよ、とそれは言った。彼女の顔でそんな表情をして欲しくはない。
「だから、私、貴方のお嫁になる」
「………うん?」
「そして、貴方の子供を産むわ」
「今の私は女体なんだけれども…」
「神様なんだからそれくらい出来るでしょう」
「君は、この子のことが好きだったのかしら」
「好きだったけれど、貴方の思うようなものではないわ」
「人間、というのはいつの時代も難しいことを考えるのね」
でもこの子は美しい子だったわ、とそれは言う。自分のことを美しいと言うのも可笑しな話だけれどね、と。
 滝に入って来た時に一番よく分かるの、その一番奥では何を思っているか。大抵が怖い、死にたくない、と言うわ。それは当たり前のこと。人間とはそういうもの、でもこの子は違った。
―――ずっと、貴方たちの幸せだけを願っていた。
その言い方に私は引っかかりを覚えて、顔を上げる。やはり、それは彼女と同じ顔をしていた。…まるで、彼女の身体にそのまま乗り移ったような。考え方は確かに神様のそれだったし言っていることもそうだけれど、ちょっとした仕草や言葉選びが。
 これは彼女だ、と訴えてくる。
「神様だってずっと永劫生き続ける訳じゃない」
からからに乾いた喉から言葉を絞り出す。それは私の方を見ただけだった。驚いたような顔はしないし、へえ、という顔もしない。この先の私の思考なんて読めているくせに、私を止めようともしない。
「だから貴方は彼女の顔をした」
何もかもが一緒だった、一緒すぎた。喰っているのだから、少しずつ取り込んでいるというのならば分かる。納得はしたくないが分かるには分かる。
―――でも、
「貴方は、生まれ変わっているのよ」
そうじゃない。
 核心があった。でも証拠はなかった。だから私が言っていることはただの狂人の戯言(たわごと)だ。でも、狂っていない人間のいない世界なんて一体何処にあるのだろう? 誰かが狂っていたから、彼女は滝壺へと落とされたのに?
「贄があればそれで良い」
この苦しい世界の咎を、すべて背負わされて。
「なら、貴方が何かを遺したら?」
 贄を。
 最初からそういうふうに、新しく、用意したのであれば?
「これは呪いよ」
自分の身体がどうなるのか分からなかった。異類婚姻譚など良い結果に変わったものを聞いたためしがない。大抵が悲惨な終わりを告げる。悲惨でないものはそれが巧妙に隠されているだけの話だ。
「人間をなめないで」
 人間と神様は、
「これからどれほどの時間がかかっても、この土地に復讐してやるわ」
生きる世界が違う。
「私は私の子供に、すべての罪を負わせてやる」
私は最低な人間だろう、けれどもこの土地の人間すべてがそれの子供であるのなら、それを産んだのは確かにそれなのだ。私の父や母ではない、それが自らの呪いによってしっぺ返しを食らうだけの話だ。
「貴方がいつか後悔するように」
後悔なんてするのだろうか、というのはあった。だって人間と神様は違うから。でも私は後悔して欲しいと思った、何もかも終わりになって、しまって欲しかった。
「貴方がはやくその顔を手放すように」
私はぐっと胸に拳を当てる。彼女の顔をしたそれは驚いたような表情をしてから、それから微笑んだ。
「私の子が、そう望むのなら」
 私の手は取られた。
 きっと、私の行方を知る者は何処にもいないのだろう。



暗がりで死す @odai_bot_11

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さりげなく唇を拭く 

 この世に綺麗なものなんてなくて、だから実のところすべてを諦めていて、君の名前を覚えられないくらいにこのスカートは私に似合ってしまっていて。ああ、ああ、素敵ですね、これで屋上から飛び降りることが出来たら完璧だったのにな。



孤独な愛の育て方 @kimi_ha_dekiru

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蔦の海 

 がさり、と音を立てるのは少し恥ずかしかった。だって彼は春の権化のような存在で、俺にとって春というのはとてもふわふわしていて甘くてどうしようもない季節で、だからそんな粗野な音を立てたくはなかった。でも俺は根が粗野なのでどうしても音が立ってしまったのだけれど。
「宮内は別に粗野じゃないよ」
彼は俺には難しい本を読みながらそんなことを言う。
「そう? お前の読んでる本も理解出来ないのに?」
「別にぼくだって好きで読んでる訳じゃないから。好きな本だったら理解して欲しいと願うのかもしれないけれど」
「そういうもの?」
「そういうもの」
彼の言葉もまた春のようで、俺はとてつもなく心地が好かった。
 のに。
「あそこ、危ないって言われてたから」
彼に会える場所までは、秘密の抜け道を通って行かなければならなかった。他の方法では無理だった。大人の勝手な事情で、秘密の抜け道は塞がれた。俺にはどうすることも出来なかった。ふしぎと、あの場所で読みたくもない本を読んでいる彼は思い浮かばなかった。でもきっと、それが正しかった。
 もう、春は戻ることはないだろう。



「ぼくはぼくのからだの統治にしくじりしうつろな植民地司令官」 / 正岡豊

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サマーバケーション 

 夏だからと言って特別なことが起こる訳じゃない。
「だから起こすんだよ」
魔法を使って、という友人が本当に魔法使いであることを知っている俺はただため息を吐くしか出来ないのだ。



熱いものは通らないと知って油断している真夏の青いストロー / ロボもうふ1ごう

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夢は叶わないから夢なんだよ 

 そんなことも知らないの、と笑う彼女は真っ白なワンピースを着ていること以外はまったくもってわたしと同じに見えた。だってわたしは真っ白なワンピースなんて、そんな少女の象徴は許されなかったから。わたしは彼女が憎かった。
 わたしを愛さない彼女を、わたしはわたしの手でお揃いにしてあげたかった。



@bot_0dai

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ただの日常 

 誰かと寝ることをまるで特別のことみたいに言う人々が多くて笑ってしまう。どうせ無駄撃ちも出来ないくせしてそうやって生まれてきたくせして、自分は関係ありません、って。笑っちゃう。何がいけないのだろう、私は病気なのか、じゃあ人類は病巣だね、どうにもならない阿鼻叫喚。私はただ、世界に叫びたかっただけ。嘘を吐くのも面倒で、愛ってものを馬鹿にしたかっただけ。
「ねえ、どうせ、気持ちが良いんでしょう」
私は気持ちが悪いけど。
 誰も私を殺してはくれないのに、心ばかりを探して。
 それだけ。



薔薇の香で騒めく心 血豆みたい 病気セックスレスツインテール / アーモンド

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水際にて 

 いつか死ぬんだよ、と君は言った。そんなことは当たり前だともう知っていた僕はそうだね、と呟いだ。
「こわくないの」
君の細いほそい声を覚えている。僕は、線香の匂いを思い出している。線香、じゃなかったかもしれないけれど。僕の背より少し高かったそれのために、誰かが抱き上げてくれて。何を話しかけてももう目を開けない、起き上がらない兄のことを君だって知っているはずだった。君の、姉、か誰かだったのかもしれない。僕を抱き上げてくれたのは。
 僕はあの冷たさを、忘れたことはない。
「こわいよ」
僕は、僕がああなることが怖かった。
 そしてそれを観測するのが君であろうことが、とても、とてつもなく、怖かった。



死がこはい世界がこはい水のない海へと歩む僕の魂 / 黒瀬珂瀾



20200511