2LDKの同居人 

 街に光が灯った、と思って帰ろう、と言うはずだった。なのに両手を広げてみせたきみの、その反動で揺れた髪から知らない、でも知っている香りがして。ああ、きみはまだ会っているんだ、と思う。顔も知らない人間に嫉妬できるほど器用じゃないので何も言わないでいることを選んだけれど。



日が落ちるのがずいぶん早くなったころ、遊覧船のデッキできみの髪からかすかにたばこの匂いがかおったこと話をしてください。
#さみしいなにかをかく
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欠けた水晶 

 夜の匂いがしている、と言うとそんなことはない、と君は言う。静かな声で、まるでクラス中を見回しているような声で。
「匂いなんてするはずがない」
「そうかもね」
「貴方は分かるのかもしれないけれど、私は知りたくない」
だから僕は頷くだけ。夜が怖い君は夜から落ちてきたようなものは一切受け付けない。それを知っていたのだから今のは僕のミスだった。
「きらいなの」
「うん」
「知ってるでしょ」
「うん」
「忘れてたの」
「ごめん」
「その程度のことなのよ」
夜の匂いはまだしていた。
 君が落とした涙が窓から入ってくる光に反射して、それが欠けているように見えてうつくしかった。

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せめて夢で 

 例えば君が僕を見てくれないことなんて重々承知で僕は君に言うのだ、好きだよと。君は嬉しそうに笑ってありがとうね、なんて言って。ああその実他の男と寝ているのだから、それは確実なのだから僕はとても悔しいのだけれどもこれから生まれてくる妹のことが楽しみでないと言ったら嘘になるので。
 そういうことなので。



今何してるとか誰と寝てるとか知らないけどさ夢で逢おうか / 小箱

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朝食 

 ごはんが食べたいと言ったきみに紙の束を差し出すとまずいと言いながら食べる。それをぼくは見ている。じっと見ている。きみの歯がざくざくと鋏のように紙の束を切り刻んでいくのを見ている。ぼくの物語が消えていくのを見ている。消えるまでがぼくの物語で、きみがまずいと言ってぼくの物語は完成するのだということをきみは知らないしこれからも知らないままなのだろう。

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嘘吐きの仕事 

 いつかしてくれた話の続きを、ときみは甘えることを知らないような声で言って、だからぼくはそれが少しさみしくて、まるで化石になったような気分だなと思いながらもそれをきみに言わずに、きみが好きな甘ったるくてどうしようもないハッピーエンドについて語るのだ。

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ラフメイカー 

 さよならが言えないなんてことは往々にしてあるので自分の判断をどうにかして自分の、自分だけの判断にしてやりたいなんてそんなことを思ってしまうのだ。
「そんなこと出来ないと知っているのに?」
 残念なことに、此処には窓をバットで割って入ってきてくれるようなやつは存在しないのだ。

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ピアノのない朝 

 きらめいている、と云うとそんなことはないよ、ときみは少し照れたように笑う。きみはぼくのことばに照れるべきなんだと思っている。それはたぶん、すこしかなしいことなのだけれど、ぼくはきみに云うことばをしっかり選んでしまう。きらめいている、きらめいている、きみはこの世界のだれよりも、うつくしくて、そのぶんだけすこしかなしいいきものだ。

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明日は当然のように来るから 

 たまごの色を知っている? と問われて知らない、と返すときのびみょうな心地の悪さをきみは知らない。ぼくが小さく震わせた指先のことも、読みかけの本のページがめくれなかったことも、きみは気付かない。ぼくはきみにとってその程度の存在で、ぼくはそれがよくて、でもやっぱりさみしいなんて思ってしまうから、世界なんていますぐに終われば良いと思うのだ。

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化石のうた 

 にんげんのにおいがする。にんげんのにおいがする。汗、息、肌、何もかも。にんげんになっていく。おちていく。まるでそうじゃなかったみたいに思いながら眠りにつく。

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 雨が降っていた。傘をさしているのが馬鹿らしくなって、でも捨てることも出来ないまま私は君を見つめている、見つめているふりをする、スニーカーはとてもぼろぼろで、ぐちゃぐちゃで、君もこうなってしまえば良いのにと思うけれども口にしない。私はけれどもだとかそういう逆説が多い。何も言えないのは確かで、私は君に対して何も出来ない。それが良い、それが正しい。
 君を。
 愛してなんか、いない。



雨にうたれて死んでもいいの愛でなく愛によく似た何かのために / 松野志保



20190807