のびやかな棺 

 じらじらと、その爪先の色が変わっていくのを見ていた。
「爪先だけ?」
きゃらきゃらという声は私の記憶で、実際に誰かが笑っている訳ではない。夏でなくて良かったな、と思うと同時にこういう時に背景で蝉の鳴き声だとか、扇風機の回る音だとかしていたらもっとそれっぽかったのに、と思う。
 あたたかい、部屋。
 きっと、幸せというのをかたちにしたらこんな部屋になるんだろう、というような部屋だった。近くのスーパーのお惣菜が値引きの値札をつけるまで待つような、馬鹿なことだって楽しかった。でも、それだけだった。楽しいだけでは人は生きていけないし、満足も出来ない。
「爪先だけじゃないよね」
抱き締めることはしない。
「全部、変わるんだよ」
 貴方の所為、と笑った声が、聞こえているのが世界で唯一人、自分だけということがとてつもなく、嬉しかった。



お題「染まる」

***

はこのなか 

 静かな部屋だった。電気もついていない。つけておかないで欲しい、それは願いだったと思う。祈り、だったのかもしれない。だから暗闇の中から声がするとほっと、胸を撫で下ろす。今日もちゃんと今日が終わったのだと、そう実感出来る。
「まだ怖いの」
「怖いよ」
ぬくもりはない。それが正しい。食卓の上に食事が並んでいたこともない、それを願ったし祈ったのだから当然だった。
「馬鹿な人」
その声は何処までも楽しそうで、こんなふうに怯えている自分が可笑しいかのような心地になる。
「そんなふうに怯えるのなら、私を殺さなければ良かったのに」
「…そんなに、ちゃんと出来ないよ」
「そうよね」
 大丈夫、と言われる。何も大丈夫なことはないのにその言葉に安心しなければいけない。
 これは願いで祈りだ。
 だからこれは、幸福であるべきだった。



お題「おかえり」

***

白い腕 

 かんかんかんかん、と音がしている。きゅるり、とその音の止むのが聞こえて、それから遮断器が上がって。歩いていく。もう歩いて良いものになったから。枕木の間から手が伸びていても、別に気にはしない。
「どうして見捨てたの」
「見捨てたんじゃないよ」
お揃いのリボン。ずっと付けていようね、と言って私はそれを律儀に守っているのだからそれで満足すれば良いのに。
「小林さんたちと仲良くしてる」
「してる訳じゃない」
「でも休日に出掛けるって約束してた」
「まだしてない」
「まだって言った」
 じゃあ、と呟く。それ以上は何も言われない。
 赤い、リボンが揺れる。
 これがある限り、小林さんたちはきっとこれ以上は踏み込んでこないのに、馬鹿だなあ、と思った。



お題「線路」

***

似た者同士 

 死んで欲しいの、とその人は言った。僕は嫌です、と優等生のように言った。それが始まりと言えばそうだったのだろう、と思う。でも、それくらいしか言うことがなかったのだ。死んで欲しい、嫌です。ただの遣り取りとなったそれに、世間一般では母親と呼ばれるその人は驚いたような顔をして、それからそう、と呟いた。
 死んで欲しい。
 それは、一体どういう意味だったのか。ただ僕にいなくなってほしかったのか、それとも一緒に逃げたかったのか、聞くことは出来ないで。今も時々同じようなことを繰り返す。嫌です、僕の答えが変わることはない。嫌じゃなくなる時は来るの、とその人は問わない。それがその人の自傷行為で、唯一許されることだからだろう。
 何か一つでも、聞いてやれば良かったのだろう、それは、分かっているけれど。
「死んで欲しいの」
「嫌です」
結局、これに許されているのは僕も同じなので、どうしようもなかった。



お題「永久機関」

***

真夏の葛藤 

 触れることは出来なかったな、と思う。屋上、落とされた瞼があまりにも綺麗で、死んでいるみたいだったから。声さえ失って、先輩、と呟くことも忘れて。
 指を、伸ばした、のに。
「えっちだ」
戸惑いを察したのか先輩の唇が動いた。何をもってして先輩がそんなことを言ったのか分からなかったけれど、先輩がそう思ったのならそうだったのだろう。
「性感帯だとかなんですか」
「そんなことはないよ」
「じゃあ何で?」
「躊躇ったから」
「それだけで?」
「それだけで」
そんなものだよ、と言ってから先輩が目を押し開いて、それを見たら勿体ないことをしてしまった気分になった。

お題「瞼」

***

愛してる? 愛してた? 愛そうとしてくれた? 

 ざくざくと音がする。誰かの足音。花でも植えたら良いのに、と私は思うけれど、どうやら貴方にはそんなロマンチックな思考はないらしい。私はずっとそういうところを直した方が良いと、口を酸っぱくして言ってやっていたのに。結局直らなかったな、と思う。私は貴方のことを誰よりも知っているから、直らないことだって知っていたように思うけれど。今となっては全部、過ぎてしまったことだ。
「でも、せめて一回くらい愛してるって言ってくれても良かったじゃない」
 私と似た女の子を探すくらいなら、私にしたように繰り返すくらいなら。私のためだけに罪を背負ってくれていたら良かったのに。
「これじゃあ、私だけの貴方じゃないじゃない」
花は咲かない。
 貴方が一人、また一人と私に似た女の子を連れてくる。おしゃべりではない彼女たちは、私の暇を潰してはくれない。貴方にどうやって愛されたのか、教えてもくれない。
「私は、貴方だけの私なのに」
生まれた時から知っていた、きっと私の方がはやく生まれたのが間違いだった。
―――姉さん。
そう呼ぶ貴方が美しいことを、知っているのは私だけで良かったはずなのに。
 土の音がする。
 貴方の足音がする。
 また一人、女の子が増えて、私はただ、ため息を吐く。



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***

明日は月曜日 

 美しい人がいるのだ、と僕は思う。その価値観はいつだって僕のものでしかなく、きっとかの人にも伝わらないものだけれど。この思いが化石にならないことを僕は知っているから、きっと大切にしていける。

***

 

 悲しい、だとか。
 そんな簡単なことも云えないままでいる。誰もが望んだはずの夢を喰べては、この先に一歩も進めないでいることを正当化するしかないのだ。

***

ボーダーライン 

 誰でもなくても良かったというのなら、もっと早くに辞めたら良かったのだ。誰の代わりにもなれないことを突き付けるだけならきっと、月がない夜でだってうまくやれただろう。

***

ひとりは嫌だよ 

 雪というのは音を喰う魔物だった。誰一人、恐怖のことを認めやしないのに、どうしようもなく根を張って存在を主張する。痛みなどもう何処にもないのに。この手を掴んでくれる人を、今でも探してしまうのだ。



20210303