君と万能説
「酢っていうのは万能なんだよ」 このまま空気に溶けていきそうだ、なんて思っていた静寂を破ったのは、 ずっと物音も立てずに隣に座っていた甲野だった。 「…何、突然」 「いやだから、酢」 「それは聞いた。なんで突然酢なのって聞いてる」 「思い付いたから」 「…そう」 今に始まったことじゃない。 わざとらしくため息を吐いてやる。 嬉しそうに甲野は唇の端を吊り上げた。 「酢っていうのはさ、酢酸が主だけど、クエン酸とかリンゴ酸も含む訳じゃん」 「そうなのかー初耳だー」 「ワァ棒読み」 甲野の声がどんどん跳ねていく。 楽しそうで何より。 「フランス語でビネガーって言うじゃん? アレ語源はヴァン・エーグルっつって酸っぱいワインて意味なんだって。 つまり、酢は酒と関係は深いの。 日本語だってそうだろ? 酢と酒、同じ部首持ってる」 甲野のこの知識が何処からやって来るのかは知らない。 もしかして、頭がネットに繋がっていたりするのだろうか。 「まぁ、それはどうでもいいんだけど! 酢は万能って話をしたいんだよ、例えばさぁ、掃除に役立つでしょー、 肉を柔らかく出来るでしょー、疲労回復効果なんてのもあるし、殺菌力ってあるんだぜ。 身体が柔らかくなるってのはデマだけどさ、今あげただけでも相当役に立つの分かるだろ?」 大げさに動かされる指先の、爪に反射する光が眩しいような気がした。 「あとさ、酢ってほんといろんなものと相性が良いんだよ」 「いろんなもの」 「そう!例えば豚丼な、あれに酢掛けるとすっげーうまいの。 今のイチオシは麺類だけど」 油そばに掛けるともう別世界!って感じでさ、と笑う甲野から目を逸らした。 雨上がりに雫が跳ねていくように、それが虹を作るように、甲野の声は踊るのだ。 それがひどく不可解で、少しだけ、居心地が悪い。 「お前はどうかな」 ゆっくりと、そちらへ目を向ける。 唇の端は、吊り上がったままだった。 息を吐く。 「…どうかなぁ」 同じようににぃ、と吊り上げた唇は、きっと正しく歪んでいた。 何の変哲もないその手が、きらきらと輝くシルバーに見えただなんて。
(欲していたのは、どっち)
20130719