優しく舞い降りる雪の下
「全く、あの子に似てクズなんだから!!」 はりとばされた頬が痛んだ。 春なら、こんな時どうするのだろう。 「春が…っ春が死んだのも、アンタの所為なのよ!!」 バタン、とドアが閉められた。 私の所為。 そう言われても仕方ないことくらい分かっていた。 春を殺したのは、紛れもない、私だ。 事件が起こったのは、約一週間前。 と、その前に、私と春のことについて話しておこう。 私と春は同い年で、 四月生まれだから春、九月生まれだから秋、とそれぞれ名前が付いていた。 双子ではないのだ。 春は今のお母さんの実の娘で、私は今のお母さんの妹の子。 私の本当のお母さんは、私が生まれてすぐ、交通事故で死んだ。 お父さんも一緒だった。 残ったのは、その時今のお母さんの所で眠っていた私だけ。 そう教えられて、十四年間育ってきた。 クリスマス一週間前、十二月十七日。 雪が降った後で地面は凍っていた。 「八十二点!?」 耳元でお母さんが怒鳴った。 私は必死で耳を押さえたいのを堪えた。 「ありえないっ。何でそんな点数とれるの?」 あからさまに馬鹿にしたような口調。 八十点とれてれば、良い方だとは思う…平均的に、だが。 「春はえらいのに」 春が少しだけ顔をしかめたのが、私には分かった。 でも、春が傷つくのは嫌だから。 「ごめんなさい」 春が口を開く前に謝る。 「謝ったって意味ないでしょ!?」 いつもの通り、殴られた。 殴られても、何も感じなくなったのはいつだろう。 痛みがない訳じゃない。 ただ、抵抗する気がなくなってしまったのだ。 「全く、あの子に似てクズなんだから!!」 毎日のように言われる言葉。 “あの子”とは私の本当のお母さんのことだ。 本当は、こんなこと言ってほしくなかった。 頑張っているのに認められない。 きっとこれは、お母さんも一緒だと思っていたから。 だけど。 「何よ、その目は…」 顔に出してしまえば、 「育ててくれた人に感謝できないのなら、今日の晩ご飯は抜きよ!」 今のお母さんの行動は、虐待の域へと入ってしまう。 「分かり…ました」 いつものことだ…と、私は思う。 虫の居所が悪い時に、私の抵抗。 すごくささやかではあるのだけれど…。 一食くらい抜かれてしまうのも、もう慣れてしまっていた。 だけどその日は、予想以上にお母さんの虫の居所が悪かったらしい。 「気に入らないのよ!!」 もう一発、殴られた。 そうだ。 この時、私がお母さんに殴られていなければ。 私が、もっといい子だったならば。 春は死ななくて済んだのに。 殴られた私は、バランスを崩した。 少し蹌踉けるだけなら良かった。 でも、その日の地面は凍っていて。 足を滑らせた私は、そのまま車道へ、走ってくるトラックの前に身を投げ出した。 「!」 私は少し驚いたが、次に来たのは安心感だった。 ―――あぁ、これで、私はここからいなくなれるんだ。 今まで感じたことのない幸福感が襲ってきて、 私は、私が死を望んでいたと言うことに気付いた。 「ありがとう」 あの時、無意識に発せられた言葉は、きっと春へのものだったと思う。 優しくて、明るくて、常にみんなの中心にいた春。 私は、そんな春が大好きだった―――いや、今でも大好きだから。 気付いた所は、病院だった。 そばにお母さんの姿はなかった。 …当然だ、と思った。 大嫌いな子、大嫌いな女の子供。 全てが気に障ってしまうのだ。 そんな子が事故にあったからと言って、お見舞いに来るような人ではない。  ガチャ 病室のドアが実にタイミング良く開いて、 「あら、目が覚めたのね」 優しそうな顔立ちをした看護師が入ってきた。 「じゃぁ、貴方は石に躓いて蹌踉けて滑って車道に転がり出たの?」 「はい、そうです」 看護師の問いに、私ははっきりと答えた。 「……」 看護師が少し黙った後、はぁとため息を吐いた。 「ちゃんと言っておきましょう…きっと、貴方には伝えなくてはいけないコトよ」 ぴりっと空気が固まる。 緊張が体を走り抜ける。 「貴方のお姉さん…三奈木(みなぎ)春さんは、三時間ほど前に、亡くなったわ」 私は看護師を見つめる。 どうして、と聞きたかった。 でも、声が出ない。 「貴方を庇おうとしたのね、きっと。 意識がないのに、抱き締めていて離さなかったそうよ」 嘘だ、と心が訴える。 喉に、焼け付くような痛みが走った。 「春ちゃんは最期までずっと、うなされるように言っていたわ。 『お母さんが、秋を突き飛ばした』って」 その後、私は看護師に何も言わなかった。 言えなかったし、真実を言うつもりはなかった。 春が助けてくれた。 だけどその代わり、春は死んでしまった。 私はもう、“生きよう”となどは思えなかった。 私はその一週間後、退院した。 精密検査にも引っかからなかった。 何で自分じゃなく、春が、と何度も思った。 迎えどころか、お見舞いにも、お母さんは現れない。 きっと春なら来たんだろうな、と思ったが、悲しい気持ちは一欠片もなかった。 病院から家まで、少し遠かったが、歩いていけない距離ではなかった。 今にも家に電話をかけそうな看護師をやんわりと止めて、私は病院を出た。 空はどんよりと曇っていた。
後編
執筆日不明