こうなる運命だったとか、
逃げることなど出来なかったとか、そういう人間じみたことを言うつもりはないけれど。

きっと美園流依という人間は、数あるケースの中では幸せな方だったのだから。



摂氏最終度



紅。

一面に広がるその色に、自然と唇がたわむ。
これを他ならぬ自分が、どれほどに求めていたのか知っているのだから。
不思議と、悲しみはなかった。
これが当たり前なのだと、あるべき物語の結末なのだと、そう知っていたからだったのだろうか。
「る、い…?」
喘ぐように呼ばれた名前に、その笑みを湛えたままの顔を向ける。
あたたかい指先が流依を捉えて、震えるように離された。
「ごめんね、海斗」
そんなこと思っていないくせに。
それでも紡ぐのは、未だ人間の心の欠片が残っているからなのだろうか。
美園流依が息も絶え絶え、生きているからなのだろうか。
「どう…し、て…」
どさり、と海斗の身体が落ちる。
見開かれた瞳は無機質で、まるでつくりもののようにきらきらと蛍光灯を反射させていた。

跪く。

ぴちゃり、と音を立てたそれが、流依にはとても美味しそうに見えた。
自分が何をしているのかは十分分かっているつもりだ。
けれども、もう流依は人間ではないのだから。
濃厚で塩気があり、まだあたたかいそれは流依の喉を潤して、そして指先に温度を与えていく。

美味しい、あたたかい、幸せだ。
舌を喉を唇を、休むことなく動かしながら流依は思う。

例えそれが愛しい人間だった者の血を飲むという、
傍から見たらおぞましいことこの上ない行為であったとしても。



こくり、と喉が鳴る音で、流依はすべての血液を飲み干したことを知った。
身体中のすべてがあたたかくて、
どくりどくりと、先ほどまで消えかけていた生命の鼓動が、あまりにも力強く聞こえて。

けれど全然満たされていないことに、気付かないでいることは出来なかった。
からっぽで、ぽっかりした穴がずっと空いているみたいに。
「…海斗」
その声に返って来るものはもうない。
「私の指、あったかくなったよ…?温度、戻ったの。
これでずっと海斗と一緒にいられる、海斗があっためてくれたの。
流ちゃんにも出来なかったことを、海斗はやってのけたんだよ?
すごいね…すごいよ、海斗」
答えはない。

息が、止まりそうだった。
ああ、どうして、そう思うのをやめられない。
こんなに、こんなにあたたかいのに。
「…ごめんね」
その言葉をどうして紡いだのか、流依にはもう分からない。

抱き上げた海斗はとても軽く感じた。
そのまま抱き締める。
「ごめんね…ごめんね…ッ」
譫言のように繰り返される言葉の意味すら理解出来ないまま、
その首に刺さったままだったカッターを引き抜く。
「すぐに、あいに、行くよ」
震える、幼子のような声だった。
「大丈夫、ちゃんと、連れていく、から。
だって、わたし、も。
流ちゃんに、あいたい、もの」
にっこり笑ってまだ血の滴る刃を一舐めしてから、そんなもの、信じたことなんかないけれど。



「天国の入り口で待ってて」





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20130906