最後に 

 伝えたいことがあります。ちゃんと言葉にして、形にして、伝えたことの無かった僕の想い。別れて、後悔する前に、せめて、自己満足でも良いから、書き出したいと思いました。この手紙は貴方の手に渡るのでしょうか。分かりません。

 貴方が今この文章を読んでいるということは、僕の手紙を読んでから、僕の気持ちを全て知るという決心がついたということですね。そう取って、大丈夫ですよね? ここからは、僕の気持ちが全て書いてあります。汚いことも、醜いことも、全て、です。ここまで読んで、気持ち悪く感じたら、そこで止めて下さい。そしてそのまま捨てて下さい。出来れば、シュレッターにかけたり燃やしたりしてくれると嬉しいです。この文面が誰かに見られるのは、かなり恥ずかしいことですから。

 本当に、決心がついたのですね?

 では、今から貴方に、話したいことを、一つ残らず書き出そうと思います。きっとこれが最後になると思いますから。

 最初に僕たちが出逢ったのは、塾でしたよね。僕は貴方の名前が覚えられなく、最初は「メガネ君」と呼んでいたことを覚えています。あの時は、本当に失礼なことをしました。今、この場で謝らせていただきます。ごめんなさい。
 初めて、同じクラスになったのは、三年生の時でした。この時は貴方のことを想ってがいなく、違う人のことを見ていました。けれど、貴方と予想以上に仲良くなれたことを覚えています。
 多分、塾で二次関数をやっていたのも、この頃ですよね。貴方が自慢気にプリントを持ってきて、「この数字、一見何もつながりないように見えるだろ? だけどな、グラフにすると」裏返して、じゃーんといった感じで、「こーゆー風に丸くつながるんだぜ!」と見せてくれたことも、忘れていません。貴方の表情はキラキラとしていて、生き生きとしていて、僕はとても嬉しくなったのを覚えています。いつもなら思う自慢かよ≠フ言葉も浮かんで来ず、ただただ、貴方に感心しました。もしかしたら、これが、僕が数学を好きになった理由かもしれません。

 次に同じクラスになったのは、五年生の時でした。この時はまだ貴方に恋心を抱いていなく、ただ仲の良い友達として接していました。男子とか女子とかありませんでしたね。良くMちゃんと三人で、近くの机に座って、塾でしゃべるのが楽しくてしょうがなかったのです。良く先生にも怒られましたが。あまりにうるさすぎて、トリオ名まで付けられましたね。公害騒音トリオ=B間違っては、いないと思います。
 貴方を好きだと気付いたのは、五年も終わるという時期でした。その時好きだと思っていたYではなく、目が、勝手に、貴方を追っていることに気付きました。話していてもドキドキする。笑った顔を見ると、胸がキュンとする。顔が赤くなっていないか、とても心配でした。好きなのか?そう思い始めたのはこの頃です。いやでも、僕が好きなのはYで…。そう思っていた僕は、Yと話していても何も感じなくなっている自分に気付きました。何も思わない。ドキドキも、キュンもない。ただ、貴方と話す時は、ドキドキして、キュンとして、赤くならないように、ドキドキしているとバレないように努めて…。苦しくて、切なくて、でも、嬉しいものでした。
 好きなんだ
 やっと僕は自覚したのです。

 それから六年生。また同じクラスになった僕らは、もっと仲良くなりましたね。その反面、僕はつらい時もありました。友達という枠は、相手の想いがなければ壊せないのだと、知っていたからです。実は、今まで好きになった人の中で、プレゼントとかしたのは、貴方だけなんですよ。六年の時のプレゼント。貴方の誕生日は修学旅行が近いだか被っただか土曜日だっただかで、かなり早めにあげましたね。その月入ってすぐでした。すみません、あの線引き、三百十五円です。貴方がお返しをすると言ってくれた時、嬉しい反面、申し訳なさもありました。本当は、欲しいものを聞かれた時に、貴方の名前を言おうかとも思いました。何だか情けなくて、止めたのですが。小学校の鉄棒の所。「お前の誕生日いつ?」「何か欲しいものある?」聞いてくれる貴方が愛おしく、そして嬉しかったです。僕はふてくされて、「別に良いよ、もう誕生日過ぎてるし。あれ、安いし」とそっぽを向いてしまいました。胸の中を、何かがずっと占拠していました。「えーでも」としぶる貴方に、「僕が勝手にあげただけだから、気にしなくて良いよ!」と小声で叫びました。かわいくないことをしたものです。もしかして、もうこの時、気付いてましたか?

 図工の時間でした。貴方の方に竹ひごをぶっとばしてしまい、かなり危ない目に合わせたこともありました。覚えていますか? 「顔かすった」「ごめんごめんごめん…(エンドレス)」みたいなノリで、会話を続けていましたね。ライトアップ! の授業でした。顔に竹ひごが刺さらなくて、本当に良かったと思っています。
 忘れられないのは家庭科の時間のことです。二、三時間目にまたがって、家庭科があたんですよね。二十分休み。僕は天性の不器用さで遊びもせずに、クッションを縫っていました。指に何回も針をさして、貴方に「馬鹿だろ」と何回も言われた後でしたね。僕はカマをかけてみることにしたんです。昼休みの次に、長い休み時間です。周りの人はみんな、というかほとんどですが…外に行っていて、僕の目の前には貴方がいて、静寂があって。
「ねェ…僕のこと、どう思ってる?」
顔が赤くなってるのが、分かっていました。けれど、聞かずにはいられませんでした。本当に心臓がバクバクしていて、早鐘のように脈打っていて。
 貴方は驚いたような顔で、こちらを見て、その瞬間に、予鈴がなったような気がしています。それで周りはドッと帰ってきて、貴方は何も言わずに、授業が始まりました。思えばこの時、貴方は確信したのかもしれませんね。僕の気持ちに。僕の想いは丸見えだったようで、何人ものクラスメイトを誤魔化すのに苦労しました。本当に誤魔化されていたのかは謎ですが。貴方も薄々気付いていたんですよね。

 「目が泳いでる」確か、好きな人を聞かれた時のことだった気がします。誰かの名前を言われ、違うと言って、目を泳がせていたら言われたんでしたよね。本当は貴方が好きなのだとは言えなくて、目を合わせようとしたのですが、好きな人間の目を、真っ直ぐに見ることが出来るでしょうか。言ってしまえば、見つめ合う状態になるのです。それに元々、僕は人と目を合わせるのが苦手です。それは幼い頃からいろいろと隠し事をしてきたので、目を見られるということは、考えを見透かされることに思えていたからでしょう。それに、自分の中にある汚い思いは、貴方に見せたくなかったのです。このころから、僕の想いは急激に大きくなり始めました、目を合わせたら、きっと、泣いてしまうと思いました…それほどに。

 六年のいつだったかは忘れましたが、貴方とたたき合い?をして、最後まで追いかけてくる貴方が愛おしかったのを覚えています。確か僕はRと一緒に居て、叩かれた後、二人でキョトンとしていました。それから「仕返し!」と少し離れた場所で叫んで、また運動場の方へ戻っていく貴方が、かわいいと思ったのも事実です。
 時間が前後して申し訳ないのですが、六年生の時の遠足のことも良い思い出です。浜名湖での水遊び、二人で掘った穴。貴方は時計を守るために片手しか使えないで、一人土を掘り返していた僕の所へ来て、一緒に掘ってくれましたね。あの時、僕は本当に嬉しかったんですよ。何のあてもなく、ただ穴を掘っている僕に、貴方は「何してんの?」聞いてくれました。「ヤドカリ探してる」片手が使えなくて水で遊べない僕は少々ふてくされてそう言った覚えがあります。「掘ったら何か出てくるかもしれないし」貴方は僕の濡れないように守っている時計に気付いたのか、気付いていなかったのか、「俺も掘る」と言ってくれましたね。本当に、嬉しかったんです。
 電話をくれたこともありましたね。班で分担して掃除する日の朝でした。朝の僕は機嫌が悪く、ものすごく不機嫌な声で電話に出たのを覚えています。「誰ですかー…?」「あ、俺」そう言った後、何故か苗字を名乗った貴方に、僕は吃驚して、「え?」と聞き返しましたね。背筋が瞬時にしゃきっとなったのを感じていました。その時の内容は、その日の持ち物についてで、「何で僕に電話したの?」と問えば、「班の中で頼れんの、お前くらいしかいねぇだろ」と返してくれました。貴方に頼られて僕は、本当に驚いたし、同時に嬉しくも思いました。

 六年生、と言えば、やっぱりあのことでしょう。一月の下旬。貴方に告白しましたね。塾で、暗号文まで作って。途中まで読んで、何て言ったか覚えてますか?貴方はいきなり紙を破りだして、「もう分かった」と言いました。そして更に、「てゆーか、前から知ってたし。結構前から」とも言いました。僕は恥ずかしさより驚きの方が勝ってしまい、「いつから!?」なんて聞きましたね。確か、「家庭科の時ので確信持てた」とか言いました。そんなにバレバレしたか? 僕の行動は。
 その次の日。貴方にふられて、しょぼくれて、大好きだったはずの、音楽の時間まで潰して、考えました。じっくりと。本当に、好き? と。
 答えは一つしか無かったのです。
 愛しているのだと。
 この時、やっと気付きました。ここまで好きになった人はいませんでした。少しでも自分を見てもらおうと必死になって、プレゼントをしたり、思わせぶりになことを言ったり、告白までしたのは、貴方が初めてだったんですよ。本当に。

 メガネ論争もありましたね。キレた四年に将棋盤をぶつけられたんでしたっけ? 囲碁盤でしたか? メガネのネジが取れただか壊れただかで、メガネをしていない貴方は、僕に顔を見せてくれませんでしたね。何故だったのでしょうか? 結局貴方は僕の「何故?」には答えず、僕もそんなに追求はしませんでした。貴方は覚えていますか?あの時の理由を。
 その時僕も対抗して意地をはり、ツンケンしたまま塾を出て、その後Mちゃんに、「ごめんねって、謝っておいてくれない?」と頼みました。自分で言えないのが情けなかったけれど、何も言わないでいるよりはマシだと思ったのです。
 次の日貴方に恐る恐る「Mちゃんから聞いた?」と訊ねれば、「聞いた。お前からあんな言葉が出るなんて意外だった」とかって言いました。僕は、この頃からプライド高い上にツンデレだったんですね。でも、許してもらえて、本当に良かったと思いましたよ。

 六年生の春休み…と言いますか? 小学校を卒業して、中学生とも、小学生ともつかない、なんとも言えない立ち位置の春休み。
 僕は当時の親友のRに頼まれました。「記念に、プリクラを撮りに行きたい」と。それだけなら普通なのですが、Rが僕に頼んできたのには、訳がありました。「男子も誘いたいの」彼女は言いました。「それって…」僕は反論しかけて止めました。Rがそういう子でないことは、僕が一番分かっていたのです。その願いに裏はなく、ただ純粋に、小学校時代の思い出として、プリクラを撮りに行きたかったのです。
 僕は承諾しました。
 誘いたいメンバーの中に、貴方が入っていたことは知っていました。Rは僕の好きな人を知っていました。もちろん、振られたことも…。
 Rの部屋で、Rの家の子機を持ってきて、貴方に電話しました。貴方に電話したのはRです。僕は出来ませんでした。自分の手が、震えそうなのに、気付いていました。
 「もしもし」Rが話し始めました。最初、僕は普通に聞いていました。承諾してくれれば良いな。そう思っていたのは事実です。誘いのことしか頭になかった僕は、Rの言葉に驚きました。
 「あんたさ、あの子のこと、どう思ってるの?」
 この場合、あんたというのは貴方をさしていて、あの子とは僕のことをさしていました。Rは電話の向こうの貴方と会話を続けていました。僕はそっと立ち上がって、部屋を出ました。
 聞いていられなかったのです。
 僕は貴方の気持ちが僕に向いていないことを知っていました。僕が気持ちを伝えたことで、貴方は僕に気を遣うようになったことも、気付いていました。黙っていれば良かった―――この時ほど、そう思ったことはありません。
 その後、Rがドアを開けて、一言、「ごめんね」と謝りました。僕は笑ったと思います。ついさっきまで泣きそうな顔だったくせに、強がりました。
 貴方の返事を、Rは聞いたはずですが、僕には伝えませんでした。僕も聞きませんでした。…もしかしたら、憶えていないだけなのかもしれませんが。
 当日。承諾したというのに、貴方は来ませんでしたね。公衆電話から電話して、僕が説得させられたのも憶えています。でも、きっと、僕が電話口にたったことがそもそもの間違いでしたね。貴方は絶対に僕に説得されませんでした。

 中学に入って、クラスが別れて。最初は落胆しました。面白いもので、僕は自分の名前よりも先に、貴方の名前を探していたんですよ。だから、余計に。でも、自転車置き場が近くだった、というか同じ所だったことは嬉しいと思いました。
 正直、中学に入れば違う人を好きになるのだろうと思っていました。けれど、そんなに簡単に、愛している、という感情は消えるものではないのですね。
 会えない分、余計に貴方を愛おしく思いました。少しでも接点を見つけて、それで一喜一憂して。そんな日が、もう四年半近くにもなるなんて。

 二年生になって、同じクラスになって、本当に踊り出さんばかりに僕は喜んでいました。嘘でも冗談でもなく、人生がバラ色になったような気がしていたんですよ。僕のロッカー、貴方の下でした。帰りの会の前、そんな少しの時間でも、貴方の近くにいられるということが、この上なく幸せでした。
 僕がロッカーから鞄を出して、床に置いてゴソゴソとやっている時、貴方は後ろからやって来て、どうしたか覚えていますか。僕は心臓が止まるかと思ったんですよ。後ろから、「ちょっとごめん」と声を掛けられ、まさか、覆い被さるようにして自分のロッカーでゴソゴソやりはじめるなんて、誰も予想しませんよ。僕は自分の作業が終わったにもかかわらず、貴方が上にいることで、ずっと固まったままだったんですから。
 今まで通りになんて、巧くいかないと思っていた僕でしたが、貴方に話しかければ、いたって普通な返事が返ってきたことに驚きました。でもやっぱり、嬉しい気持ちの方が大きかったのが本音です。今まで通り、貴方と友達≠ナいられる。好き≠ナいるということを、拒否、否定された訳ではなかったのだと、僕は本当に泣きそうになるくらい喜んでいました。

 二年生の貴方の誕生日。僕は何もあげませんでした。それは僕なりの貴方への誠意であり、友達≠ニしてのけじめのつもりでした。実際は貴方が生まれてきてくれていることに、貴方が生まれたその日に、何度も心の中で感謝していたのですが。
 二年生と言えば、キャンプがありましたね。フォークダンス、僕は貴方と手を繋げるように、いろいろ小細工もしました。汚い奴ですね。でも僕は、貴方と手を繋げて幸せでした。僕より少し高い手の温度。その心地好さ。忘れていません。
 手の温度と言えば、六年生の時、貴方がいきなり「手ェ貸してみ」と言って来たことがあると、覚えていますか。僕は戸惑いながら手を出して、貴方の手の上にのせました。その時もドキドキは最高潮だったんですよ。そしたら貴方は僕の手をさわって、ひっくり返して、またさわって、と繰り返していました。僕は顔が赤くならないように気をつけながら、やっとのことで、「何?」と聞きました。…なんて言ったか、覚えていますか? 「手の冷たい人はさ、心があったかいんだって」そう言ったんですよ。僕はまさか貴方にそんなことを言ってもらえるなんて思ってはなく、予想外の答えに焦り慌てていました。何て返したのかは覚えていません。でも、きっと、かわいくないことを言ったのでしょうね。

 話を元に戻します。もう一周回ることになって、僕は貴方と同じ列に並びました。二、三人後ろから、貴方を見ていました。それだけで、幸せだったのです。結構簡単な幸せですね。姿を見ているだけで、なんて。
 その後でしたか、僕はIと一緒に貴方のいるバンガローの近くまで行きました。本当は会いたかったのですが、僕に貴方のいるバンガローのドアを叩く勇気はなく、結局、その辺りをうろうろしてから帰って行きました。僕が望んでいったわけじゃないんですよ? 会いたかったのもありますが、Iに強制的に引っ張られていっただけでしたから。ストーカーっぽいとか、言わないでくださいね?
 ナイトハイク、貴方は「怖い」と言っていましたね。本音かどうかは分かりませんでしたが。その後、メガネのつるが切れた≠セのカラスが変な声で鳴いてた≠セの、不吉なことばっかり言うので、僕は本当に心配だったんですよ。貴方は僕の班の一つ前に出発しましたよね。僕の心配は消えることなく、立っている先生に、泣きそうになりながら、「前の班、来ましたか?」って聞いたくらいだったんですから。

 二月十四日。バレンタインですね。僕は貴方にチョコを作ったものの、渡さないつもりでした。でも、Iが泣きはらした目で、「頑張って」って言って来たことで、決心が付きました。それで、貴方にチョコを渡したんです。一番真面なのを選んだつもりですが、味の保証は出来ていませんでした。緊張して、そんなこと言う暇も無かったのですが。
 本を渡したのも、この時でしたね。実は、本を渡す時の方が緊張していたんです。何か変ですね。今でも貴方の言った「ばかだろ…お前…」の意味が未だに理解できなく、困っています。…何が馬鹿なんですか?
 その後、Iを伝って、貴方の返事を聞きました。「プレゼントとか、そう言うのを交換する仲じゃなくて、普通≠フ友達≠ニして接したい」そう言ってくれたんですよね。僕は哀しい反面、嬉しくもありました。全面的に拒否されると言うことが、どれだけつらいか、分かっていましたから。「友達でいたい」という言葉に、どこか安心していたのも事実です。
 最近気付いたのですが、僕は貴方に、付き合いたいとか、…まァ、それ以上のことをしたい、とか、思っていなかったんです。ただ単純に、貴方の笑う顔が見たい。そばにいて、支えになりたい。僕の望んでいる関係は、恋人≠謔閨A親友≠フ方が近かったのかもしれません。でも、貴方を愛しているということは間違いないのです。…矛盾、してますよね。

 貴方の出てくる夢を、何度見たかしれません。流石にそれを言うのは、恥ずかしいのですが、一つ、僕の気持ちを証明する夢を。
 その夢は、僕が貴方以外の他の誰か、誰だかは分かりませんが、その人を好きになってしまうという夢でした。僕は夢を見るとき、自分が主体になっているにもかかわらず、客観的にも見ています。要するに、夢の中では僕は二人存在するのです、多分。主体の僕がその他の人を好きになっている時、客観的な僕は、ものすごく胸が痛かったのを覚えています。目覚めてからも、胸の痛みは消えませんでした。自分が、貴方以外の人を好きになる。そう想像しただけで、夢で見てしまっただけで、僕はこんなにも泣きそうになってしまうんだ、と思いました。それほどに、貴方に想いを向けていたのです。

 二年生の最後、クラスでドラマを取りましたね。僕はその脚本の原案が、貴方のものであるということだけで、俄然やる気を出しました。単純ですね。
 あの物語は、真面目に、主人公、サブ主人公が少年、という脳内設定で書いていたので、主人公に貴方が、サブ主人公に僕が上がったことに、とても驚きました。Iによれば、あの物語は僕が、貴方と僕をモデルにして書いたものなのだと言われていたそうです。全然そんなつもりは無かったのですが。
 貴方と並んで演技するのも魅力的でしたが、僕は監督する側に回りました。僕は元々作る側の人間だったからです。できれば、貴方と一緒にカメラの前で、演技をしたかった。けれど、一番最初に決めたことを、守らないのは自分の美学に反すると思ったので、僕は役を辞退しました。
 最後の台詞。僕はそこだけ貴方の台詞指定で書きました。「主人公役降りたから、その腹いせ」と周りには言っていましたが、本当は、貴方の目立つシーンを作りたかっただけなのです。先生が「オチにまだ他に一位がいたって言うのはどうだ?」と言った瞬間に、その一位の人は貴方にしよう。そう決めていました。
 …単純です。

 三年生になって、僕たちはまたクラスが別れましたね。僕はやっぱり勇気がなく、貴方の名前を紙に書くことが出来ませんでした。書けば良かったと後悔しています。悔やんでも、仕方ないのですが。
 でも、もし、書いていたら。
 今とは違う未来が、あったのでしょうか。僕には、分かりません。もちろん、貴方にも分からないとは思いますが。
 貴方を好きでいることを、諦めようと思ったことも何度もありました。けれど、廊下で貴方とすれ違う度、遠くに貴方の姿を見る度、胸の高鳴りが止まりませんでした。僕に、貴方を諦めることは出来なかったのです。完全なる依存症。笑ってくれてもかまいません。
 この年の貴方の誕生日。僕は捻挫した足を引きずって、Sを迎えに行くという口実で五組の近くまで行きました。プレゼントはあげない。だけれど、ただ、「おめでとう」と言いたい。僕はそう考えてそこまで行きましたが、いざとなると言葉が出てこなくて、貴方は僕の前を通り過ぎていきましたね。後ろから叫んだ、「誕生日おめでと!!」は聞こえていましたか?

 学校祭運動の部の日。貴方は僕の横で騎馬戦の時、太鼓を叩いていました。僕は貴方がすぐそばにいることで、緊張しっぱなしでした。写真を撮るという口実で、貴方の姿を見つめていたかっただけです。騎馬戦の写真、多分、学校のパソコンに残っていますよ。
 学校祭文化の部の前のパソコン室。僕は貴方があの狭い同じ空間にいるというだけで、ドギマギしてしまい、仕事もままなりませんでした。時折聞こえてくる貴方の声にときめき、振り返って後ろ姿を見てみる。心臓クラッシャーですよ、貴方は。机の裏に隠れていたのは、貴方の姿を見ないようにするためでした。考えないようにしようとすればするほど、貴方のことは頭から離れず、絶えずドキドキしていました。それに、上から覗き込むのは反則ですよ!
 貴方が僕の隣で作業をするJの隣に来たとき、僕の心臓の高鳴りは一番大きくなりました。痛いほどに、脈打っていました。かわいげの無いことを連発したのもその所為です。心臓の高鳴りを、貴方に知られたくなかった。普通≠フ友達≠ニして接したかったのです。でも、結局巧くはいきませんでしたけど。

 学校祭文化の部のリハーサルの日。貴方は倒れましたよね。僕も照明にやられ、ふらついていましたが。僕の居る方とは逆の舞台の端っこで、誰かの倒れた音がして、前の子が、貴方が倒れたことを教えてくれて。僕は頭が真っ白になった気がしました。いえ、真面目に、真っ白になりました。それからは、何も考えられず、ただ胃の辺りのキリキリとした痛みだけが身体を支配していました。歌を歌うにも声が出ず、喉の奥が擦れたようになって。先生の話も、どこか遠くの出来事のように感じていました。手をぎゅっと握りしめて、心の中で、返事がないことを知りながら、必死で貴方の名前を呼んでいました。
 貴方が倒れた。
 頭を打った。
 そう聞いただけで、僕はこんなにも動揺してしまうのです。
 その後、僕は委員会の仕事で文化会館に残りました。舞台裏で、仕事が来るのを待っている間、僕は膝を抱えて泣いていました。久しぶりに、目が熱くなるのを感じていました。何かあったらどうしよう。その思いだけが心を支配していて、ただ僕は泣くことしか出来ませんでした。
 もしもあの時、神様、もしくは悪魔が、「お前の好きな人、死ぬんだけど、お前が望むならお前の命引き替えに助けてやっても良いぜ?」と言ってきたら、僕は迷わず答えたでしょう。
 「じゃあ、僕、死にます」
 それぐらい、だったのです。
 客席の方に行って、ソーラン節を見ている時に、Lが舞台袖に貴方がいることを教えてくれて、僕は本当に心の底から安心しました。「良かった…」と何度も繰り返しました。

 これは最近の話です。親友であるSの家によって、今の僕の気持ちについて、全部話しました。貴方を愛しているということ。それはただ単純な気持ちだけではなく、貴方に幸せになってもらいたい、という気持ち、僕の方は見てくれなくても良いから、幸せになってもらいたい…そういう深いものから来ているのだと。そして、貴方がいなくなったら、きっと、僕は、死んでしまうだろうと言うことも。Sは「そこまで想っている相手がいないから分からない」と言いました。けれど、こうも言いました。
 きっと、僕が今何を言われようと、貴方を好きなことはきっと変わらないし、僕の中から貴方の存在を消すことは不可能だと。
 僕は泣きませんでした。
 自分を犠牲にしてでも、貴方を守りたい、そう考え始めるほどに、僕は貴方を愛していたからです。
 もうほとんど病気のようですね。
 僕は貴方が居ないと、きっと生きていられません。
 それは、距離が離れる、というものではなく、貴方が存在している。そう分かっていれば大丈夫だというものです。
 こんな風に強く思ってしまう僕を赦して下さい。
 僕は貴方以上に、他の人を愛す自信は、ありません。
 それほどに、貴方を愛しています。
 時には他の子と話す貴方を見て、他の子に笑顔を向ける貴方を見て、醜い嫉妬心を感じたこともありました。貴方は僕のものではないのに。僕は自分が情けなくて、いつもその場から逃げ出していました。

 こうして書いてみると、貴方と僕は、思った以上にたくさんの時間を共有してきたのですね。思い出に在る限りの貴方を思い出して、この手紙を書くのに、何度も泣きそうになりました。哀しかったのではありません。あまりに、懐かしすぎて。どうして、離れてしまったんだろう、離れて行かなくてはいけないんだろう、と…。
 押しつけるようなことをしてごめんなさい。僕は貴方を想った四年半近くの期間を、泣いたことも、怒ったことも、喧嘩したことも、全て含めて幸せだったと感じています。
 この手紙は、貴方にけじめを付けるために書いたつもりです。きっと貴方と僕は高校も別れますし、そうすれば、余程縁がないかぎり、もう会うことはないでしょう。あ、二年生の時のクラスの同窓会や、成人式では会いますか? でも、そんな時以外に、共に過ごす時間は、もう来ないと思います。
 だから、こうして最後に未練がましく、自分の気持ちを押しつけようと思ったのです。破って棄ててくれてもかまいません。焼いてくれてもかまいません。ただ、捨てるときは処理法に気をつけて下さいね。理由は最初に述べた通りです。僕からどうして欲しいとは特に言いません。
 けれど。
 心の隅に、頭の中の一立方ミリメートル、もしくはそれ以下でも良いですから、僕の存在を留めておいてくれたら嬉しいと思います。

 今まで、ありがとうございました。
 今でも、愛しています。
 けれど、さようなら。

 幸せに、なってください。



僕が初めて愛した人へ            
貴方を愛したことのある者から、愛をこめて 

平成十九年 某月 某日 某曜日 某所にて








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