林葉(はやしば)とはそこまで接点がある訳でもなかった。
一年の時に同じクラスになって、偶々弁当を食べる所が近かったくらい。
だけれど、その小さな接点は二人を繋ぐのに大いなる働きをしていた。
「よ、待った?」
「…いや別に、お前を待ってる訳じゃないんだけど」
この会話も何度もしている。
これは所謂ツンデレではなく、本当に林葉は海岬(うみさき)を待っているのではない。
この公園にこの時間いるのは、彼女が用あってのことだ。
「はい」
無表情にも近い表情で可愛らしい包みを渡される。
「ありがとう」
開けた瞬間、ふんわりとやわらかな香りが広がった。
今日のも美味しそうだ。

恋愛感情を持っている訳ではなかった。
現に海岬には彼女がいる。
それでも誤解を恐れずにこうして林葉に会うのは。
「…うめぇ」
十分に咀嚼してから丁寧に飲み込む。
素朴な味のパウンドケーキ。
恐らく聞いたら卒倒してしまうくらいの砂糖やらバターやらが入っているのだろう、
が、林葉の作るそれは下手に売っているものよりも美味しい。
作り手の人となりを知っているというのもあるだろう。
それを抜きにしても美味しい。
健全な男子高校生としては、自分の嗜好を満たす術を持っている友人を、
おいそれと手放すわけにはいかない。
そう、海岬は相当な甘党だ。
海岬がこの味を知ったのは弁当を食べる林葉が友人にお菓子を配っているのを発見し、
それを頼み込んで一つもらったのが始まり。
あの時恥を忍んで声を掛けて良かった、と海岬は心から思う。
「姉ちゃん!」
高い声が響いて、林葉の背中に何かがぶつかって来た。
「おかえり」
小さくも元気なそれは林葉の弟。
彼女が毎日この公園にいる理由。
おかえり、と声をかければただいま、と返って来る。
「コウキ来たから僕帰るけど」
どうする、と聞かれる前に地面に置いていた荷物を拾い上げた。
「途中まで一緒に行くよ」

林葉の存在は、本当は同じクラスになる前から知っていた。
きっと周りは知らないであろう少し複雑な家庭の事情ってやつが絡んでくるので、
人に進んで喋ることがなかっただけだ。
「海岬が甘党って未だに違和感拭えないや」
並んで歩くと、ぼそっと林葉が呟く。
「よく言われる」
友人各位にクール系と称される海岬が大の甘党だとは、大方の人間が思わない。
林葉だって最初に話しかけた時は、え、海岬って甘いもの食べれるの、と目を丸くしていた。
「お前の菓子すきだからいくらでも食える、ってのもあるけど」
「そりゃどーも。唯一生産的な特技です」
お世辞としか思っていないようなその返しに少しだけむっとして言葉を続ける。
「うまいだけじゃないよ」
ぱっと理由が浮かばない。
誤魔化すようにゆっくりと呟く。
「お前の菓子食ってると…幸せな気分になる。幸せになる」
何とも嘘くさい台詞だ、と海岬は思った。
林葉に笑い飛ばされることを予想したが、いつまで経っても笑いは起こらない。
ふい、と首を戻してみると、
「………え」
何、その表情(カオ)。
目が丸くなる。
熟れたトマトのように、真っ赤になった林葉。
「な、に、それ…突然そん、な、反応に困るようなこと、言うなよ!!」
林葉でも照れること、あるんだ。
そんな初めて見た一面に、珍しさが勝ってそのまま見つめていたら、
いつまで見てる気だ!と殴られた。

そんなふうに林葉と距離を縮めていくことに、抵抗はなかった。
寧ろ今までどうしてこんなに距離を保っていたのか、不思議なくらいに。

いつもと同じように、公園に寄る。
「海岬に頼みたいことがあるんだ」
「何、改まって」
「僕、明日委員会に出なきゃいけなくなったんだよ。
だから、コウキのお迎え遅くなっちゃうんだ」
「アーなるほど。お前が来るまで、俺がコウキ見れてばいい訳ね?」
「流石。話早くて助かる」
いつもお菓子をもらっているお礼だ、それは気恥ずかしくて続けられなかったけれど。

いつも通りの時間に幼稚園の一行が公園の傍を通り、
列からこちらを見付けたコウキが駆けて来る。
「おかえり」
「ただいま」
その頭をかいぐりかいぐりしながら林葉は今話していたことをコウキに言う。
「明日は海岬がここにいるから、僕が来るまで待っているんだよ」
「はぁい」
コウキの返事。
素直だな、と海岬は遠いものを眺めるような気持ちで思った。
この姉弟は何処か現実から離れて生きているような、そんな印象を受けていた。
こんなにも、目の前にいるのに。

翌日、幼稚園の先生からコウキを引き取って、海岬とコウキは二人、ブランコに腰掛けていた。
「コウキ、お前姉ちゃん好きか?」
「うん、大好き」
迷いもなく言い放ったコウキが少し羨ましい。
「兄ちゃんは?」
言葉に詰まる。
コウキにとっての好きはきっとまだ一種類で、上手くカテゴライズなんてされていないだろう。
だからこそ、ここで林葉を好きだと言うことは出来ない。
「…嫌いじゃないよ」
何それ、とコウキが笑った。

暫くしてやってきた林葉は、学校からこの公園まで走ってきたようだった。
ぜえはあと肩で息をしている。
「そんなに急がなくても良かったのに」
「…うみ、さきに…悪い、だろ」
その言い方にしくり、と胸に違和感を感じた。
なんだ、と首を傾げるより前に、コウキが林葉に縋りつく。
「姉ちゃん、今日のおやつ」
「はいはい、ちょっと、待って」
息が整ってから、と林葉は笑った。
海岬の分もあるから、との言葉に、違和感のことなど一瞬で吹っ飛んだ。

そういう訳で渡されたおやつはクッキーだった。
バニラ生地とココア生地がいろいろと組み合わさっていて、目にも美味しい。
それを褒めつつ、コウキと二人、ぱくぱくもぐもぐと口を動かす。
「姉ちゃん、俺今度はマカロン食べたい!」
クッキーをきれいに平らげてから、コウキはそんなことを言った。
「…何処でそんなもの知ったの…」
「朝のテレビ」
マカロン。
海岬もその名前は知っている。
「俺も、食べたいな、マカロン」
ころんと可愛らしい造形は知っているものの、それを手にとって口に運んだことはない。
殆どが砂糖で出来た、とても甘ったるいお菓子だと聞いている。
「ええ、海岬まで」
林葉が苦虫を噛み潰したような顔をする。
お菓子の話をしているのに林葉がこんな顔をするのは珍しいな、と思った。



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20140514