「おい、海岬、呼んでる」
昼休み、お弁当にありついている海岬をクラスメイトが呼んだ。
教室の入り口に目線を向ければ、そこにいたのは林葉。
珍しい、と思いながらも箸を置く。
「どした?」
「コウキが熱出して迎えに行くことになったから」
手に可愛いらしい包み、中にはころんとした色とりどりのお菓子。
「本当は休ませるはずだったんだけど、
コウキがそうしたらお兄ちゃんはマカロン食べられない、って聞かなくて」
あまり変わらない表情だが、よく見ていれば分かる。
元気のない林葉。
「ありがと、コウキには今度会う時にお礼言う。
…お前が元気出さないとコウキ不安になるぞ」
ぽん、と頭に手を載せてやる。
「…ありがと」
笑った。
それに安心して笑みを返す。

が、その一連のやり取りがいけなかった。
「ヒロキに近付かないでよ!」
上がったのは、甲高い声。
そして続く足音、打音。
ざわり、と広がる声。
海岬の彼女・芦野(あしの)が林葉を叩いた。

よろけた林葉は二、三歩歩いて踏みとどまった。
「金輪際、ヒロキに近付かないでよ」
もう一度繰り返す芦野。
その目には明らかなる憎悪が宿っていて、
自分の彼女でありながら過ぎったのは、嗚呼めんどくさい。
林葉は悪くないし、海岬とて悪いことをしているつもりはない。
けれどこの複雑な関係を説明していないのは事実で、
広めるまでもないことだと思っているし、これから先も言うつもりはない。
…だからこその修羅場なのかもしれないが。
この面倒な場をどうにかして収めないと、今後林葉のお菓子は食べられなくなるかもしれない、
それは生命の危機と言っても大袈裟ではないだろう、
海岬がそんな思考をしているうちに、林葉は顔をあげていた。
「良いと思うよ?それ」
叩かれた頬を押さえながらも、林葉は言った。
「僕は別に今更周りの人間に何を言われようと気にならないしね」
芦野の胸にとん、と指を突き立てて、
「世間体は僕の嫌いなものの一つなんだ」
にっこりと笑った。
「あと、」
ぽーん、とマカロンの入った小袋が投げられる。
それは迷いもなく海岬の手の中に落ちてくる。
「偽善者も、ね」
拒絶のようで全く鋭さの欠片もない言葉、きっと海岬だけが分かった唇の歪み。
ここで突き放すことで海岬の立場を維持しようとでもしてくれたのだろうか。
「…じゃあ」
踵を返して帰っていく。
その後ろ姿を、海岬はぼうっと見つめていた。
世間体は嫌いだと言った林葉はとても脆く見えた。
すぐに浮かんできたのは公園で弟を待つ彼女。
彼処で林葉以外の人があの子供を待つ姿を、海岬は見たことがない。

どよめきは収まっていたが、視線は依然として海岬と芦野に注がれている。
「お前それ食べんの?」
声を掛けられる。
これはパフォーマンスでも食べない、
とか言ってゴミ箱に突っ込めば大した苦労もせずにこの事態は収拾するのだろう。
けれど、今手の中にあるのは林葉が丹誠込めて作った菓子だ、しかもマカロンだ。
ピエを出すのが難しいとか焼き色がどうのとか、
正直良く分からなかったがあの林葉が作る前に言い訳をする菓子だ。
それを捨てられるだろうか?
答えは否。
「食べるよ」
ギッと睨まれる。
私よりあの女を選ぶの、とでも言いたいのだろうか。
「俺の為じゃなくても折角作ってくれたものなんだ。
それを粗末にするような人間に、俺はなりたくない」
そう、半分はあの可愛らしい弟の為。
海岬はそう言い訳をしてマカロンを口に運ぶ。
甘い、苺の味が口の中に広がった。

林葉といるのは楽だ、ついでに菓子もうまい。
だけどそれは恋愛感情とは違う…気がする。
そして、憐憫とも違った。
きっと林葉は海岬が接することを、そうだと思っているのだろうが。
否定したくとも、それに変わる言葉はない。

いつもの時間公園に寄れば、やっぱりそこには林葉がいた。
「頬、大丈夫か」
「ん、すぐ冷やしたから」
赤みは引いて腫れも目立たない、そのことに心底ほっとした。
「コウキは?」
「今寝てる。母さん…来てくれたから、コウキが行けって言ってくれた。
我ながら出来た弟だと思うよ」
林葉はコウキに話したのだろうか、疑問が顔に出ていたらしい。
「…あのまま迎えに行っちゃったから、すごい剣幕で問い詰められたんだ」
それで負けた、と呟く林葉。
怒り狂うコウキが目に浮かぶようだった。
今度会った時はお礼と一緒に謝っておかなければ。

やさしいあじのココア。
クレヨンで書いたような文字が特徴の昔からある自販機のお馴染み。
「手を煩わせて悪かったね」
お詫び、と渡される缶。
「…お前が悪いんじゃないけど。でもこれ好きだからもらっとく」
「もらっとけもらっとけ」
手のひらにじんわりと暖かさが広がる。
初恋の女の子が好きだった缶ジュース。
そんなどうでもいい情報は口から発しない。
「マカロン、うまかった」
「それは良かった」
沈黙をかき消すように言葉にする。
嘘ではないけれど、それを口実にしたようで胸がもやりとする。
林葉に伝える感想はこんな風で良いはずないのに。
「芦野さん、本当に海岬が好きなんだな」
ぽつり、と言った林葉から、感情を読み取ることはできない。
「林葉は…そういうの、ないの?」
「…ああいう風に、盲目的になるのは難しいかもしれない」
「そう、か」
その理由を、海岬は知っている。

知っていて問うたのは残酷なことなのかもしれなかった。
そう思ったのはその答えが返って来て沈黙が舞い降りた後で、
そうなってしまえば何か弁明するのもわざとらしいような気がして、何も出来なかった。



  



20140514