じわりじわり、染まっていく、広まっていく。
鈍い、白い、赤い。
あたたかいのか冷たいのか、もう、分からない。



摂氏一度



流依は死ななければならないと思っていた。
「美園流依は死ななければならない」
呟きながらもう持ち慣れたカッターナイフを弄ぶ。
左手に残る生乾きの醜い傷跡たちを眺めて、ため息を吐いた。
虚空を見つめて、誰に言うでもない言葉に唇を動かす。
「うん、まぁ、それは分かってるんだけどさ。
なんていうか、こうも毒されてるとは…思わなかった、かな」
ごめんね、と吐き出す言葉は白々しい。
使命のように繰り返される馬鹿馬鹿しい自傷行為は、
紛れもなくその先の死というものを求めて行われているのではあったが、
どうしてか致命傷になりそうなものはつけられないでいるのだ。
もう、何日目だろう。
痛みは痛みのままで麻痺することもせずに、ただ流依がそこにいることの証明のようで。

つぷ、とまた滲んで来た紅に唇を寄せる。
「…良い香り」
この短期間で変わり果てた自分の嗜好には呆れる程笑えてしまった。
これを自分で成し遂げられなくても、もう手は打ってある。
だから、出来ないのならそれはそれで良いのだ。
それでもまだ続けるのは責任感からか、それとも、ただ。

ピンポーン、と軽快な音。
「流依?」
インターホンから控えめに自分の名を呼ぶそれは、聞き慣れたものだった。
ふらり、と立ち上がり画面の前へと行く。
流依の予想通り、そこにいたのは叔父の流介。
「流ちゃん」
玄関は開いてるから、と共有玄関の解錠ボタンを押すとそこに座り込んだ。
安心した、というのもあった。

暫くして静かに玄関の扉が開き、流介が入ってくる。
「彼に、別れは?」
「言ってきた」
久しぶり、くらい言ってもバチは当たらないのでは、と思わなくもなかったが、
そこは相手が流依であるので仕方のないことなのだろう。
「ごめん、流ちゃん、私、死ねなかった」
痛みは快感にさえ変わらず、ずっとずっと不愉快なだけで。
無様な傷跡が増えるだけで、それ以上へのなり方が全く分からなくて。
「…良いんだな」
「うん」
良いも何も、選択肢はないのを彼も知っているのに。
薄く笑って手を伸ばす。
ぐらり、と眩暈に視界を回されながら流介の腕の中へと寄りかかる。
このまま暗闇に引きずり込まれるように眠ってしまいたい、
そうしたら、全て終わっているはずだから。

がちゃり、と玄関の扉の開く音がした。

「…ッ流依!!」
切り裂くような光を浴びせられたような気分だった。
「…かいと」
幻だと思った。
美園流依が最も望むものが、さいごに見えただけだと、ただの都合の良い走馬灯だと。
腕を掴まれる。あまりにリアルな感覚だった。
流依を支えている流介のことなど視界に入っていないようだ。
でも、何を言っているのかもう、聞こえない。

ただ、掴まれたところから伝わって来る温度が、指先の温度が、
泣きたい程にあたたかかったことだけは、確かに感じた。





  





美園流依(みそのるい) 美園流介(みそのりゅうすけ)
20130822