愛とか、そういうもの。
ねぇ、それって、本当に大切なの?

違うよ、認めるよりも、知るよりも、そんなものが宿ってしまうのが怖かった。



摂氏二度



「…生きてる」
真っ白な部屋だった、病室のようだ。
意識が途切れる前のことと繋げて考えるなら、此処は流介の病院なのだろう。
続いて思い出したのは、あたたかさ。
かっと燃えるように全身を回るような、生きている、温度。
「…かいと」
その幻の名前を、呼んだ。

「何だよ」
返事が、あった。

ゆるゆるとそちらへ首を回すと、其処にいたのはやはりと言うべきなのかその声の持ち主で。
久木海斗。
美園流依の恋人―――否、
何日か前に流依から一方的ではあるが別れを告げていることを考えると、
元恋人なのかもしれなかった。
彼の中でそれがどう解決されているのかは知らないが、
流依にとってはもう終わった話にしたい事柄だ。
だからこそ、分からない。
何故、彼は此処にいるのか。
「…なんでいるの」
「いちゃ悪いか」
むすっとした顔だった。
きっと海斗がついてきたから、流依はまだ生きているのだろうとも思う。
「まぁ、うん。そうだね、悪いと思う」
だから、そのままを言った。
それにまた海斗は顔を顰めて、
でもそれ以上突っかかるのも時間の無駄だと感じたのか、そのまま律儀に質問の答えを寄越す。
「なんでって言うけどさ…突然別れるとか言うし、電話にも出ねぇし、
バイトも辞めたとか言われたし…俺は、正直混乱してるよ。
だから話聞きに行ったのに、知らない男はいるし、
お前は倒れるし、その…手首は、傷だらけだし」
一瞬だけ、手首のことに触れる一瞬だけ、海斗の視線が逸らされた。
「あの人は、」
「いや、聞いた。
叔父さんなんだろ?流依の育ての親だって言ってた。
まぁ、それは今は置いといてさ」
強い視線が戻って来る。
あつ、い。
まっとうに人間として生きているのをまざまざと見せ付けられているようで、居心地が悪い。
「流依。俺、何かお前に嫌なことしたのか?
俺がそれに全く気付いていなくて、だから流依は俺に愛想を尽かしたのか?」
言葉に詰まる。
「女々しいかもしれないけどさ…俺はまだ、流依が好きだから。
もし俺が改善出来ることがあるならそうしたいし、もう一度チャンスが欲しい」
ああ本当にその通りだと思う。
女々しいにも程がある。

本当は、此処で嘘でも良いから酷い言葉をぶつけて、
もう金輪際関わらないようにすべきだったのだ。
けれど、身体の裏側を走るような歓喜と満ち足りた幸福感に、それをためらってしまった。
もう一度チャンスが欲しい、だなんて。
そんな薄っぺらい言葉で喜ぶのは、こういう人生を辿って来たからなのか。
それがいけないということくらい、分かっているだろうに。
頷いてはいけない、そう思っているのに。

こくり、と首は縦の動きをしていた。

そうか、と綻んだ表情がまたずくりと胸を抉る。
ああいけないことだったのに、また時間を引き伸ばしてしまった。
そう思って流依が俯くのと、病室の扉ががらりと開くのは同時だった。
「…起きたんだ」
「流ちゃん」
入ってきたのは叔父の流介。
じっとりと重い視線が一旦海斗を経由して流依に注がれる。
「邪魔したね、あとでまた来るよ」
白々しい笑顔と硬い声のまま流介は踵を返すとまた扉を閉めた。

緊張の糸が解けたように海斗が息を吐く。
「あの医者、お前を殺そうとなんてしてないよな?」
じっとこちらを見る瞳に、
心配と、怒りと、悲しみと―――そんないろんな人間らしい感情がごたまぜになった瞳に、
流依は乾いたように笑う。
「そう、見えるだけだよ」
それこそを望んでいるのだと、何も知らない海斗には言える訳なかった。





  





久木海斗(ひさぎかいと)
20130829